コラム「なぜバルサは欧州CLの真の勝者ではなかったのか」 text 田邊雅之

■「単なるクラブ以上の存在」という誇り

「単なるクラブ以上の存在」。バルセロナで受け継がれてきたこのテーゼには、様々な含蓄がある。まず政治の世界においては、カタロニアの自治独立を目指す運動のシンボルとなってきた。他方、ピッチ上では「テクニックに基盤を置く、良質なサッカーを追求するクラブ」を自任してきた伝統がある。両者が融合して誕生したのが、常に革新的なスタイルで世界の頂点を目指すという姿勢だ。

先日行なわれたCL決勝。バルサはユベントスを倒し、見事に欧州の頂点に返り咲いている。戴冠は5度目となり、ビッグイヤーを永久に保持する権利も与えられた。にもかかわらず歴史的偉業にさほど脚光が当たっていないのは、単に強いだけではファンの支持を得られない、このクラブのバックグラウンドに遠因がある。

■独自の美学、哲学は失われたのか

ペーニャ(クラブ公認のファンクラブ)に所属している友人に従えば、ルイス・エンリケが率いる現在のチームは、カウンター志向が強すぎるということになる。“ティキ・タカ”の名で呼ばれた、究極のポゼッションサッカーを実現したペップ・グアルディオラ時代に比べて、独自の美学や哲学が感じられないのだという。

むろん誤解のないように述べておくと、対戦相手や戦況次第では、バルサのボール支配率は今でも驚異的なレベルに上がっていく。CL決勝でさえ、支配率は62%対38%を記録した。ルイス・エンリケ自身、昨年の11月には次のように断言している。

「我々が探し求めているのはバージョンアップしたバルサだ。山や谷はあるだろうが、自分たちが信じる哲学に忠実でなければならない。我々はポゼッションを重視したゲームにこだわるし、その最高の形を目指す」

しかし配下の選手たちは、明らかに引き気味に構えてカウンターを狙うようになった。と同時に“ティキ・タカ”は、以前にも増して鳴りを潜めた。バルサのサッカーが、「アイディアリスティック(理想主義的)」なものから「リアリスティック(現実主義的)」なものへ変質したと評される所以だ。

■テクニックの活かされ方が変わった

僕自身は、プレースタイルの変化そのものを云々するつもりはない。前線にはMSNトリオ(メッシ、スアレス、ネイマール)を擁しているし、バックラインには衰えが見られるのだから、慎重な戦い方に徹するのは理に適っている。ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイのトップストライカーが展開する速攻はシルクのごとく滑らかで、桁外れに破壊的でもあった。

またバルサからは、技術の高さが失われたわけでもない。カウンターベースの戦い方に移行すれば、ボールハンドリングのスピードと精度は、より求められるようになる。テクニックが軽んじられたのではなく、テクニックの活かされ方が変わったと捉える方が適切だ。

■ペップ・グアルディオラの求めるもの

ならば、どこに問題があるのか。

現在のバルサに物足りなさを覚えてしまうのは、ポゼッションからカウンターへの路線変更というよりは、カウンターの方法論そのものに関して、斬新なアイディアを付け加えることができなかった事実に負う部分が大きい気がする。表現を変えるなら、今シーズンのバルサはサッカーの改革者(イノベーター)としての役回りを十分に全うできなかった。

かくして再びクローズアップされたのが、グアルディオラの存在である。

バイエルンの監督に収まった彼が、バーバリア地方で革命的なカウンターのモデルを提示できていたならば、バルサのファンも多少は溜飲を下げることができていただろう。サッカーの進化に寄与できなかったのは、ルイス・エンリケの力量不足によるものだと結論すれば済む。

ましてやグアルディオラは、ポゼッションサッカーを極めること自体が、もはや不可能になっていたと述べていたはずだった。昨年、ドイツで発行された話題の書「Herr Guardiola erste Bayern München Der」には、悲痛なまでの告解が綴られている。

「バルセロナを離れたのは、完全に消耗してしまったからだ。 (中略) 素晴らしいプレーはしていたけれど、僕は何かにすがるような気持ちになっていたし、戦術のアイディアはもう一つも残されていなかった(筆者訳)」

さらに述べれば、グアルディオラは、自分が率いていたバルサが“ティキ・タカ”いう単語と結びつけられることにさえ、アレルギーにも似た拒否反応を示している。

「“ティキ・タカ”とは、パス回しそのものを目的にすることだ。明確な目的なんて何もないし意味もない。(中略)バルサは“ティキ・タカ”なんかやっていなかった。そんな説は完全にでっち上げだ。

(中略)ピッチの片側で相手に負荷をかけて、逆サイドをがら空きにさせる。そしてがら空きになったサイドで攻撃を仕掛けていく。だからこそボールをパスしなければならないんだ。パスを回す唯一の目的は、相手に負荷をかけることだ。“ティキ・タカ”とは何の関係もない(同)」

■戦術の革新性を示せなかったCL優勝チーム

その意味において、「ポスト・“ティキ・タカ”時代」の戦術をいかに進化させるかは、むしろエンリケよりはグアルディオラが担っていたと言っていい。

だが結果はご承知の通り。昨シーズンのCL準決勝では、バイエルンにトータルスコア0−5で叩きのめされ、今回のCLでは古巣のバルサに苦杯をなめた。しかもグアルディオラは皮肉なことに、いずれの対戦カードでも相手のカウンターにしてやられている。それはとりもなおさず、“ティキ・タカ”を超えるようなカウンターのノウハウを、未だに確立できていないということに他ならない。

しかし戦術の革新性とインパクトにおいては、エンリケのバルサも真の勝者ではなかった。圧倒的に強く、まるでチェスの名人のように勝負勘に長けていたとしても、グアルディオラ時代の影を払拭することはできなかった。

シーズン終盤、カンプ・ノウの会見場では、シャビが中東のクラブに移籍することが発表された。“ティキ・タカ”のリズムを刻んでいたキーマンが抜ければ、カウンターサッカーへの移行はさらに進むだろう。

だからこそ“エンリケたち”は、独自の回答を提示しなければならない。「単なるクラブ以上の存在」であり続けるためにも。

<著者紹介>

田邊雅之(たなべ・まさゆき)

1965年、新潟県生まれ。学生時代から「ナンバー」をはじめとする雑誌や各種書籍、広告媒体などで活動。2000年からナンバー編集部に所属。ライター/翻訳家/編集者として多くの記事を手掛けた後、W杯南ア大会を最後に再びフリーランスとして独立。主な著書に「ファーガソンの薫陶」(幻冬舎)、「ゴトビ革命」(扶桑社)翻訳書に『ブライアン・グランヴィルのワールドカップ・ストーリー』(新紀元社・共訳)、『知られざるペップ・グアルディオラ』(朝日新聞出版・監訳)、「ルイ・ファン・ハール鋼鉄のチューリップ」(カンゼン)などがある