「4x100mリレーの夜」

Text 生島 淳 / Jun Ikushima

ウサイン・ボルト、正真正銘のラストラン。
ロンドンで行われた世界選手権、数々の伝説を作ってきたボルトの最後のレースは、4ⅹ100リレーだった。スタジアムの誰もがアンカーのボルトが先頭でゴールを駆け抜けることを期待していた。ところがーー。
ボルトは3番手でバトンを受け取ると、そこから先行するイギリスとアメリカを猛然と追い上げを始めるはずだった。しかし、顔を歪め、トラックに崩れ落ちてしまった。明らかに足を故障し、大切なバトンも放り出されていた。21世紀最速の男は、最後のレースでゴールにすらたどりつけなかったのである。
いまも、ボルトが倒れた後のスタジアムのたくさんの「音」が忘れられない。
「ああっ」という悲鳴。先頭に立ったイギリスを後押しする「GO!」という声援。そして、日本が3位に入った瞬間、記者席で起きた「よっしゃ」という叫び声。
そしてレースが終わると、視線はボルトに集まった。大丈夫なのか? 車椅子を拒否し、自力でトラックから退場していく姿は、それまでの陽気なボルトからは想像できないものだった。
この10年間、世界の陸上界の「顔」として走ってきたボルト。クライマックスは望んだ形にはならなかった。それでも、北京で、ベルリンで、大邱で、そしてロンドンで見た姿を忘れることはない。
レジェンドという言葉は、ボルトにこそふさわしかった。

そのレース、ボルトの横を藤光謙司が駆け抜けていった。第3走者の桐生祥秀からバトンが渡った時、日本は4番手だった。藤光の視界の左側には、ジャマイカの黄色のユニフォームがチラッと見えていた。
「ボルトはちょっと見えました。でも、気にせずに自分の力に集中しようと思って」
アンカーの藤光は、ある意味で「代役」だった。4ⅹ100mリレーの決勝の5時間ほど前、日本チームのミーティングで、予選でアンカーを走ったケンブリッジ飛鳥からの交代を正式に告げられた。
オリンピック銀メダリストのケンブリッジには、複雑な思いが渦巻いただろう。しかし、日本チームのコーチ陣はオリンピックの成功体験に囚わるとなく非情の決断を下し、その賭けに勝った。
銅メダルを獲得した後、報道陣の前に姿を見せた日本チームの選手たちは堂々としていた。
喜びすぎることなく、淡々とレースを振り返っていた。
メダルを獲得するのが、自然なことになってきたーー。そんな印象を受けた。東京オリンピックを控え、確実に自信をつけている。
ボルトが去り、短距離の勢力図も変わりつつある。日本が地図を塗り変えそうな予感をロンドンで感じた。


生島 淳(いくしま じゅん)1967年宮城県気仙沼市生まれ、スポーツジャーナリスト。
著書に『エディー・ウォーズ』(文藝春秋)、『箱根駅伝ナイン・ストーリーズ』(文春文庫)など。
黒田博樹、青木宣親をはじめとした日本人メジャーリーガーへの取材、執筆を続けている。
出演番組にTBSラジオ「日本全国8時です」(土)0800などがある。