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錦織 圭(ソニー)の闘い ATP500 Swiss Indoors Basel 2011

文・写真 畠山 喜代子

ファイル 86-1.jpg大会の名称は今回から「ATP500 スイス室内バーゼル」と変わりスポンサーは減少もしたが16回のグランスラム優勝の記録を持ち現在ATP4位のロジャー フェデラーの地元であり、住民の期待、スイス国民が注目するトーナメントである。
11月1日 第1回戦
錦織 圭(WC) vs T.ベルディヒ (CZE 7)
3:6/6:3/6:2 

「バーゼルは初めてです。2年前出場の機会は足のケガで調整していました。 今回はワイルドカードでエントリーです。インドァよりもオープンのほうがいいですね、サーヴがうまくいきます。 夜中まで試合が続くことはたまにはあります。 あ、足は上海の後遺症です。 もうだいぶよくなりました」   

右足首を氷袋を巻きつけて、深夜の勝利者記者会見は選手控え室で、スイス人2、日本1人、通常は英語だが、今後は日本語のインタビュータイムが組まれることになった。

11月3日  第2回戦
錦織 圭(31)  vs A.ゼッピィ(ITA 52)
6:3/7:6(4)

「昨日はここからだいぶ離れたところへ行ってトレーニングをやりました。今日の相手は初めてですが、2セット目をタイブレークで取れてよかったです」 

圭の右手根関節はあたかも360度?に回転するごとく見えた、という問い合わせに「初めて言われましたが、もう子供のときからすごい練習を重ねたんです。自分のアイドルはフェデラー、尊敬しています。彼のマッチはテレビでもじっくり見ています。来季への目標はATP20位に行きたいです。今回はここまで来たから最後まで(決勝か)やるしかないです」

11月4日  準々決勝
錦織 圭(31) vs M. ククシキン(KAZ  66)
6 :4/5:7/6:4

M.ククシキンは1回戦の1セットめでJ.ブレィクが早々にリタィアしたため錦織との対戦にあがってきた。「出だしはいつも調子が出ないのですが1セットの後半でサーヴもうまくいきました。彼との対戦は初めてです。2セットは攻撃してきましたね。体力的にも厳しかったです。 自分のエラーも多かったですし、やりにくい相手でした。 
3セットでは同点に追い込まれたのですが、勝たなければいけないと自身にプレッシャーをかけ、サーヴがうまくいきました」
この日から観客席の記者席後方に陣取っているフェデラーの支持者から「カムォン ケイ!」の掛け声が始まった。

11月5日   準決勝
錦織 圭 vs N.ジョコヴィッチ(SRB 1)
2:6/7:6(4)/6:0

世界1位のジョコヴィッチに終始ふりまわされた錦織への声援はフェデラーの支持者、会場全体から高まった。 
26分にブレイクして1点、ジョコヴィッチのダブル フォルトで1点をあげたものの26分で第1セット終了。 ジョコヴィッチは右肩の治療を要求した。  

2セットめはロングラン23回もの打ち合い、ストップボール展開、錦織はエースも決めて、観衆の声援はさらに高り, タイブレークで錦織は2セットめを取った。 右足捻挫には包帯を巻いてもらい3セットめは錦織が終始リード、サーヴでうめき声を上げるジョコヴィッチに観衆は静かになった。ただの1点も挙げることなく20分で世界1位は錦織に屈した。   

「ジョコヴィッチは偉大です。 彼がケガをしていなかったら結果は異なったと思います。 2セットの後半からやっとペースに乗れましたが、自分のプレイに専念することにきめていて、決勝なんて考えていませんでした。 自分のベースラインはリスクはしないこと、マッチの波に乗ることです。明日の対戦はフェデラーを望みます」


11月6日   決勝戦
ロジャー フェデラー(SUI 4) vs 錦織 圭
6:1/6:3

観衆の声援は「頑張ってぇ!」 も聞こえたが 「アレー ロッチャ」ロジャー行けっ!は盛大だった。

1セットは28分で、2セットは後半に同点まで持ち込んだものの、余裕たっぷりのフェデラーにストレートで敗れた。ファイル 86-2.jpg

「フェデラーの速いプレーについていけなかった。 攻めなかればだめ、と思い直してたときはもう時間がありませんでした。 今回で一番厳しい相手はフェデラーでした。 疲れたけど楽しかった。 自分のチャンスがどこに、どれだけあるのかという勉強もしました」

「6週間の休みで準備もできたのはこれからのマッチのためにはよかった。 マッチ以外の行事、はあまり好きではないが、バーゼルは自分のコートだと思いスポーツに専念できる。圭にはスピードの変化に応して、来年はもっとたくさんの経験をもとにバーセルにきてほしいと思う。 5回目の優勝トロフィは家にもっていくよ」 と、記者会見のフェデラー。

表彰式で「非常にナーバスになっていました。尊敬するフェデラーに負けても目的に達することができてうれしく思います。 ワイルドカードを与えてくれて感謝しています。 皆さんのご支援有難うございました」  

「ケイ、おめでとう。10代の君をみていましたよ。バックランドの皆さん、スーパーなテニスを有難う。スポンサーへ私にとって例年の楽しみ、うれしいこと、偉大です。 応援の皆さん有難う」手にした優勝トロフィに涙を落とすロジャー フェデラーと清清しい表情の負者、錦織 圭であった。

「Time say to Goodbye」

取材現場テニス2「Time say to Goodbye」
「ATP500 Davidoff Swiss Indoors Basel 2010」より

文: 畠山 喜代子

ロジャー フェデラーのオペラと称する40周年記念の開催セレモニーで本年はオペラ歌手が「時はさよならを-------」を朗々と歌い上げた。 勿論、選手の引退式ではなくこの大会のタイトルスポンサーである有名企業、葉巻タバコ、コニャックなどの[Davidoff]がテレビ放映の規則によるタバコ、酒の宣伝を廃止したための退却で、17年間のタイトルはスポーツ番組で世界各国に放映される上でテレビ各社も頭を痛めていたわけである。  スイスでの最大イベントが今後どのような名称、タイトルスポンサーになるかは11月7日現在発表はなく、又、来年の開催日時も大体2010と同じ時期という。 ただ、廃止になるということはありえない。

ファイル 85-1.jpg 世紀ベストのテニス選手、16のグランスラム勝者、世界選手権タイトル4回、目下ATPランキング2位のロジャー フエデラー(29才SUI)はここバーゼルの地元民であり、自身も今後は「スイス インドア バーゼル」の運営企業に参加する意向を示しているのだ。
 40年前にこの大会を誕生させたR.ブレンワルド会長は決勝戦開始前に記者会見を行った。「40年の記念トーナメントは運営側として成功であった。 1000人を超える従業員、ボランティアの活躍は完璧、トップスターのフェデラー、ジョコヴィチ、ローディックの出場は観衆の興味を一段と引き上げこれまでの最高なイベントでもあった。 しかし、年間予算20ミリオンスイスフランは我々にとっても限界に近かった。タイトルスポンサー「ダヴィドフ」の引退、その価値を5ミリオンとして、次のタイトルスポンサーを国内、インターナショナルに求め、確定の発表を年内としたい。 1980年、Borg、I.Lendelをとうして我々は少しづつ上昇して今日になる、このトーナメントは成功であり、それはフェデラーの引退後でも、自分の引退後もそのまま継続していくと格言する」

会場の中央観客席の中段に記者席は6つ、ノートもおくことが出来、センターコート、VIPボックスの顔ぶれも判明、何にもまして会場の雰囲気を含めた取材には最高である。 しかし、メディア同僚は誰もいない、彼らはメディアセンターの席で音声のない画面を見、パソコンをたたいての連日の勤務なのだ。 確かに同じIDを下げた同僚とその家族が隣席にいるが1セット見ると引き上げて行く。 最前列6席のボックスはカメラ専用、それぞれにテレつきで構えているが多勢であるため1セット終了毎に交替して撮影、テニスではこれで十分に仕事ができる。

フェデラー出場には会場は満席、記者席の後方に常時かまえているのは赤いTシャツに白いFのマークをつけたファングループ40名「レッツゴーロッチャ」パンパンパン、の手拍子は会場全体から湧き上がる。バーセルに生まれ育ち、センターコートでテニスボーイを勤め、1998年にプロへ、2004年には世界ランキングNo1.プレーヤーへと上昇した。  テニスの高額賞金をもって高額納税者であるフェデラーは我々バーゼル住民にとっても非常に有難い人物である。  「ここでの試合にはいつもナーバスになる、ヘマをやって後でしかられるのが怖い。会場からの声援はとても励みになってプレー出来る」と感謝。 応援のマナーも悪くない。 いいプレー、それがフェデラーの失敗によるものであってもエールを惜しむことはなく、プレー中のフラッシュ禁止も厳守しての観戦である。

 開会式後の一戦はフェデラーの相手が2セット目に捻挫でリタイァ、だが、2日後の1/8Finalsでのフェデラーのプレーはいつも観衆に見せるプレーではなく、攻撃的で「分かった。 君の強いのは分かったよ」と思わせるテニスで61分でゲームセットと決め込んだ。 記者会見で「何でそんなに急いだんだ?」「ああ、次のよていに間に合うように努力した」道路を隔てた向かい側のサッカー場ではUEFAカップ、FCバーゼルとFCローマの対戦が始まろうとしていた。 テニス選手になっていなかったらサッカー選手になりたかったというフェデラーは熱烈なFCバーゼルのファンでもあるのだ。 みんなも同じ思いだったろう、という表情でニャリ。

 準決勝の相手はA.ローディク(USA、28才、ATPランキング9位)6:4、6:4
でこれまでに22回目の対戦で20勝2敗の結果を出した。 「アンディとは同じ時期にデビューして長年の付き合いだが、彼のサーブは強烈だ。今日はゴールキーパーになったつもりで対戦し、勝つことができて喜んでいる。

 たしかに最近の自分の試合には作戦を練る、第1セットを必ず仕留めるということだ。 今シーズン4回戦、準決勝で敗れたマッチは第1セットを取られていた。 それとニューヨークのように5セットまで引き伸ばすことはやりたくないね」 「フェデラーの魔法(バウンドしたボールを追いかけ、後ろ向きのまま、股くぐしで打ち返す珍プレー)について教えてくれないか?」「ああ緊急対策だが、大切なのは両足を平衡に開くこと、これでうまくいく。練習では成功するが本番でうまくいったのは2回だけさ」メディアセンターの記者会見はこんな調子で爆笑も多い。 英語、ドイツ語。フランス語いずれも堪能で世界各国のメディアにはうれしい記者会見だ。 女性ジャーナリストとのツーショットにも気軽に応じて、子供づれで仕事をしている彼女は大感激だった。

 決勝戦は日曜日の午後からで待望の対戦、フェデラーとノヴァク ジョコヴィチ(SRB 23才 ATPランキング3)で、昨年フェデラーを破っての優勝者である。 「ロジャーは右手のみ、僕は右手と両手で闘う。違いを見てください」と試合前に述べた。 観客席は満員、今日は中央部のボックスはフェデラーの家族用だ。 試合中は絶対に息子ロジャーを見ないで対戦者のみを見ている父親、幼児のロジャーにテニスを手ほどきした母、その隣には2才違いのお姉さん、目下ベビーが進行中で、これもまた双子のよていだ!

 6:4/3:6/6:1と3セットを2時間30分できめ、昨年取り逃がしたトロフィを取り戻したフェデラーのインタビューは突然マイクを渡されたノヴァク ジョコヴィチ「優勝おめでとう。あ、今回は君がトロフィをもっていっていいんだよ」「ご丁寧にありがとうございます。今日のマッチは簡単ではなかったのですが、いいプレーのお相手をしていただきましてーー」などと応えるフェデラーにプッ!と笑い出して、マイクを返上した。

 表彰式にはいつのまにかフェデラーの2才になる双子の娘たちがママに連れられてボックスに来ていた。  これは公式には初公開だった。
後の記者会見で「子供たちにトロフィを見せてどんな反応があったのか?」「光っているからきれいなものだと思ったらしい。 今はなにもわからないが、いつの日か父親がどんなに闘ったか分かってくれるんだと感激だった。 素晴らしい1週間だったよ」「ボールの子供たちのピザパーティは?」「もう届いているからこれから行く。じゃ、皆さん来年もここでよろしく」ロジャー フェデラーも少年時代ここでボールボーイを勤め、試合を見るのではなく、選手の足ばかりをみて走り回った。 彼らのことは誰よりも分かっていて、その働きを感謝する慣例のパーティ。 子供たちのなかに入り、コーラやジュースをのみピザをぱくつく誰もが幸せ時間なのである。

スポーツカメラマンは『時間』に縛られる。

写真・文 新入会員 渡辺 浩樹



ファイル 84-1.jpg最近では、撮った写真をパソコンで送る時間、というものが増えて“しまって”便利になったんだか迷惑になったんだか・・・まあ、それは置いておかないと話が進まないので無視無視。



話を戻して、ここでの『時間』というのは、大きく3つに分けられる。




①試合の開始時間

②試合会場までの移動時間

③試合会場での待機時間



この中で、私達は①を中心に行動している。その結果、取材をする度に②と③がくっついてくる。特に、日本代表の試合のような、いわゆるビッグマッチを取材する際は2時間以上も前に撮影場所を確保し、あとは試合開始まで待つことになる。


なので、「時間をどう消化するか」ということは非常に大切な問題だ。



ある時は、学生時代のようなどうでもいい話をしたり、またある時は本を読んだり・・・カメラマンは、時間の消費が上手な職業だ。



しかし、そんな“時間浪費のプロ”にも例外はある。



それは海外での取材だ。


まず、日本からヨーロッパまでのフライトは約半日。そしてそこから乗り換えて目的地に到着すると、普段起きている1日の時間分を丸々移動に費やしているようなものだ。
でも、それはまだいい。長距離のフライトは、眠ってしまえば何の問題もないし、乗り換えの待ち時間は飛行場を探検すればいい。乗り継いだ後は2時間もあれば着陸する。



海外で辛いのは、鉄道での移動だ。商売道具から目を離すわけにはいかない。つまり爆睡することはできない。かといって、荷物は大きいので、持ってウロウロするわけにはいかない。そして大抵、「これが長距離列車のスピードか?」ってくらい遅い。日本の輸送がいかに素晴らしいか実感すると同時に、猛烈な眠気と戦わなければならない。

飛行機は眠っていても、寝過ごす心配もなければ、大きい荷物が無くなることもない。しかし鉄道は違う。荷物が無事でも、一つ寝過ごしたら「戻る列車は4時間後にくるよ」なんてことになるかもしれない。

話す相手もいない、車両で唯一のアジア人・・・完全アウェイのこの状況をどうすればいいのか?



以前は・・・ズバリ気合で乗り切るしかなかった。「時間を食い潰すというのはまさにこのことだ」と何度も思った。「999に乗った鉄郎は偉いな。どれだけの時間を食べたんだ?・・・ああ、メーテルがいるから喋れるのか。いいなあ、メーテル」など、意識の限界が近づいていると到着するものだった。



・・・最近は便利になったもので、パソコンが1つあれば仕事も出来るし、動画を見ることも出来る。海外でも、インターネットに繋がれば日本語のサイトを見れる。
鉄道でも、メディアセンターで日本人でも、パソコン1つあれば何の問題も無くなった。



・・・あれ?これって最初の愚痴と矛盾しちゃうんじゃないだろうか。

ファイル 84-2.jpg

パソコンの便利さと仕事への影響・・・う~ん・・・いやいや、秤にかけるまでもない。

そもそも仕事の形が時代と共に変わるなら、それに適応するのが当たり前だ。



いくら時代が変わっても、カメラマンは『時間』に縛られ、しかし『取材』がある限り各地を飛び回る。



私もまだまだ行きたい土地が残っている。



『時間』なんて屁でもない。だってスポーツカメラマンは“時間を食らうプロ”でもあるのだから。

ガムテープとごめんなさい

写真・文 新入会員 近藤 篤

ファイル 83-1.jpg大きな大会にあまり縁がない。縁がない、というのはちょっと違うか。大きな大会にはあまり自発的にかかわらないようにしている。人がたくさん集まって、様々な思惑が交錯する場所と状況が、基本的に苦手だ。

もちろん仕事の依頼が来れば引き受ける。W杯前には、日韓戦に足を運んだ。

3時間半前にスタジアム到着して、プレス受付の横のテント内で順番をとり、受付が終わったら名前を書いたガムテープをピッチサイドのパイプ椅子に貼る。やっぱり苦手だ。

美しい写真を撮るという行為とガムテープを貼るという行為はコンポンテキに相反しているように思う。カルティエ・ブレッソンはガムテープなんか貼らなかっただろう。

次回のW杯には行きたいのだけれど、そのために4年間ガムテープを貼り続けなければならないのは気が重い。あれ、どうせなら音楽流して椅子獲りゲームやればいいのに。ホイッスルは西村審判に吹いてもらおう。

4月にアルゼンチンに行ってきた。テーマは「マラドーナの率いる代表は勝てるか?」。

報道関係の人には、無理だろう、と答えた人が多かった。一般のサッカーファンには、いけるかもしれない、と答えた人が多かった。

無理、と答えた人の論旨は明快だった。監督の実績、南米予選で残した結果と内容を踏まえた上で、だから論理的に無理なんです、と説明できた。いけるかもしれない、と答えた人は全員同じ漠然とした理由だった。「マラドーナだったらなんかやってくれるかもしれない」。

本当はこの監督じゃダメだと思っているけれど、強く言えない、というジャーナリストもいた。アルゼンチンのベテラン記者連中には、1986年の苦い記憶がいまだ鮮明に残っている。

この年、カルロス・ビラルド率いるアルゼンチン代表は南米予選を通じて非常に低調なパフォーマンスを見せ続けていた。大会直前になってもいっこうにチームのパフォーマンスはあがらなかった。当然のことながらメディアはビラルド監督とチームに厳しい立場をとった。

ところがいざ大会が始まってみると、アルゼンチンは突如快進撃を始め、最終的に優勝トロフィーを手にする。優勝の要因はふたつあった。ひとつには、大会前まで不調だったマラドーナが好調さを取り戻したこと。もうひとつは、大会直前になって監督が採用した新システムが機能したことだった。

決勝戦のあと、スタンドにはアルゼンチンのサポーターから「すまなかった、ビラルド」と書かれた垂れ幕が出され、代表を厳しく叩き続けた大半のメディアは、サッカーのわかっていない連中、として断罪された。すぐさま謝罪した記者もいたし、最後まで謝罪しなかった記者もいた。ファイル 83-2.jpg

2010年7月の南アフリカで、マラドーナ率いるアルゼンチン代表はベスト8でドイツに粉砕された。マラドーナじゃダメだ、と主張していた記者の人びとは、アルゼンチンの敗退を残念に思いながらも、心のどこかでほっと一息ついていたにちがいない。

今回、86年のアルゼンチン的立場に立たされたのは、日本のメディアだった。優勝はしなかったし、ベスト4にもいかなかったが、99%の予想を裏切って、一次リーグを勝ち抜けた。僕はネット上でさまざまな人のさまざまな意見と立場を見ていただけだが、やはり日本にもすぐに謝った人と、そうじゃない人、そして誰かに向けて「あなたは謝るべきだ」と言う人がいた。

僕たちは子どもの頃から、ちゃんとごめんなさいが言える人になれ、と教育される。ちゃんとごめんなさいが言える人は立派な人なんだよ、と。でも、どうなんだろう。すぐにごめんなさいが言える人は、どうも信用できない気がする。

スポーツの周辺にいる人々

文・写真 新入会員 加藤 康博

ファイル 82-1.jpgいきなりの私事、しかも宣伝のようで本当に恐縮なのですが、この春に「消えたダービーマッチ~ベルファスト・セルティック物語~」という著作を上梓しました。
 内容は北アイルランド、ベルファストなる地で50年以上前に姿を消したサッカーチームと、その周辺に起きた出来事を巡る物語です。

なにぶん埃をかぶった古い話ですので、取材対象は市井の老人や歴史家が中心となりました。たいていはパブでビールを飲みながらのインタビューで、いわゆる周辺取材のみで書きあげたことになります。

出来上がった本には結局、現役のサッカー選手の言葉は一切収録していません。しかも発売はFIFAワールドカップ南アフリカ大会直前。言うまでもなく北アイルランド代表はそこには出場しておらず、この時期に出す本でないのは明白です。逆にサッカー関係の書籍を世に出しやすいこの時期だからこそ出版社も許してくれたのかもしれません。

サッカーの本ながら、ワールドカップのコーナーには置いてもらえない。ともかくそんな本です。


 取材の過程でサッカーというスポーツが発する影響力の大きさを改めて認識しました。かの地ではひとつのチーム、ひとつの試合が数十年に渡りずっと語り継がれています。その試合というのも優勝を決めた試合など特別なものばかりではありません。

やれ「誰それはいついつの試合で足を骨折したのに、その日の晩に飲みに出ていたのを見た」だの、「どこそこのじいさんは若い時に1試合だけプロとして出場した。しかし目の覚めるような鮮やかなオウンゴールを決めて、すぐにクビになった」とか、そんな話がファンの口から次々と出てくる。そして数十年も前の試合結果について、まさに殴りかからん勢いで議論している光景を何度も見ました。

彼らはサッカーをスタジアムの中に留めずにそれを自分の生活、ひいては人生にまで持ち込んでいます。そして町の住人がこのような昔話を肴にビールを傾けているのです。人々の心にいかにサッカーが浸透しているか、その重みを感じた次第です。


かといってベルファストがサッカー熱の高い地域かと言えば、決してそうではありません。この町のサッカーファンは地元のクラブには目もくれず、イングランドやスコットランドの強豪へ熱い視線を送ります。

「サッカー文化の発達したヨーロッパでは、ファンも地域への帰属意識が高く、どんなに弱くても地元のクラブが愛される」などとおっしゃる方もいますが、このベルファストでは違うのです。その理由に興味のある方はぜひ、本をお手に取ってみてください。これではやはり宣伝ですね。

サッカーに限らずスポーツは、スタジアム、アリーナ、そしてロードやプールなどで選手が躍動する瞬間が最も面白いのは語るまでもありません。しかし私はそれを愛する人々がスタジアムの外で起こす言動も同じくらい興味深いと思っています。

スポーツの周辺には小さな笑い話から、人間の生命をも脅かす悲惨な話まで、数限りなくいろんなことが起きている。その事象をスポーツの範疇に組み込むかどうかは、それぞれのお考えに依るところでしょう。

ただスポーツがファンに影響を与えるだけでなく、ファンがスポーツそのものに影響を与えている事実を鑑みれば、決して無視できるものではないと私は考えます。

そういったスポーツを巡って巻き起こされる、周辺の人間の喜怒哀楽。この仕事を選んだ私自身がその感情に左右されて、毎日を生きています。ものを見る目にバイアスがかかってはいけませんが、これからも湧きあがる感情を押し殺すことなく、スポーツとスポーツを愛する人間を見続けていきたいと考えています。

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