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元サイドバックの独り言

文・飯塚健司

長友佑都(インテル/イタリア)や内田篤人(シャルケ/ドイツ)の活躍があり、サイドバックへの注目が高まっている。この1か月間で、サイドバックに関する原稿依頼が4本あった。長友関連が2本、サイドバック総論的なものが2本という感じだ。サッカーをやっていたころのポジションが右サイドバックだった者としては、うれしい限りだ。どちらかというと地味で目立たないポジションだったが、時代が変われば変わるものだ。

 とはいえ、注目されるにはそれなりの理由がある。長友、内田がヨーロッパで活躍しているのもあるが、それ以前にいまはサイドバックが重要な役割を果たしている。いまのサッカーにおいて、サイドバックが攻守両面でどれだけ大事な役割を果たしているかは、面倒なのでここでは詳しく説明しない。サッカーが好きで定期的にサッカーに関するメディアに目を通している人なら、どこかで『現代のサイドバック論』的な記事を読んだことがあるだろうし、これから目にすることがあるだろう。ぜひ、そこで確認してほしい。

 いずれにせよ、いまと昔では、サイドバックに求められる仕事量、内容ともに明らかな差がある。そんななか、立て続けに原稿依頼が舞い込む注目すべきポジションとなった。「ポジションはどこだったんですか?」「右サイドバックです」。仕事先でたまにこんな会話をかわすが、以前はその次に「あぁ」という返事が来て終わることが多かった。可もなく不可もなくといった感じか。それが、いまは「内田じゃないですか!」と好リアクションが返ってくることがある。本当に、変われば変わるものだ。

 しかし、栄枯盛衰、盛者必衰。ときが経てば、サイドバックの置かれている状況もまた変化しているはず。仕事量、役割も変わっているはず。そもそも、サイドバックという概念がなくなっていたりして……。元サイドバックとしては、サイドバックの今後の行く末が気になるところだ。

インタビューした選手を好きになってしまう悪い癖

文・人見和生

毎年、プロ野球の自主トレーニングが始まる頃になると、新しいシーズンに活躍が期待される選手をインタビューする機会が増える。
そうすると、悪い癖と言われるかもしれないが、どうしてもその選手を好きになり、シーズンを通してプレーが気になってしまうのだ。

今回インタビューをさせていただいた選手のなかに、おかわり君のニックネームで知られる埼玉西武ライオンズの中村剛也内野手がいる。08年46本、09年48本と2年続けてのホームラン王であり、09年は打点王にも輝いている。当然ながら2010年の注目すべき選手のひとりである。
野球ファンならすでにご存知の通り、彼の体型は身長175センチで体重が102kgというあんこ型。今季開幕1軍登録された日本人選手で体重が100kgを超えるのは、彼のほかには同僚の石井一久投手と東北楽天ゴールデンイーグルスの山﨑武司内野手の2人しかいない。ただしどちらもちょうど100kgなのだ。つまり、日本人で一番重い選手がおかわり君ということになる。(中日ドラゴンズのルーキー、ブーちゃんこと中田亮二内野手は115kgだが、まだ2軍)
そのインタビューで、失礼とは思ったが、真っ先に「身長から考えて、100kgを超える体重というのは重すぎませんか?」と聞いてしまった。どう考えても最初にする質問ではなかったと思う。しかし彼は、不快な表情を見せるどころか、うれしそうに答えてくれた。

「ベストかどうかはわかりませんが、オフもシーズン中も102~103kgをキープしています。バットも振れるし、重いと思ったことはないですね。今年もこれでいきますよ」
 そして本題のホームラン話。
「どんなボールでもしっかりフライを打つようにしています。ゴロではホームランにならないですから。いつもセンターのやや左にぶち込むイメージ。ちょっとタイミングが早かったらレフトへ、差し込まれたらライトへ、それがぼくのホームランなんです。50本というような数字的意識はまったくなくて、たくさん打ちたいと思っているだけです」
 そんな言葉でワクワクさせてくれたのに、今シーズンの第1号は、開幕13試合目、51打席目という信じられない遅さだった。オープン戦で右目の下を自打球で骨折したのが不調の原因なのか、それとも体重が重過ぎるのか。はやく何杯もホームランをおかわりして欲しい…。また、私の悪い癖が出てしまった。

試練を迎えている日本サッカー界

文:戸塚啓

 2月上旬に行なわれたサッカーの東アジア選手権で、日本代表は過去最低の3位に終わった。「南アフリカW杯でベスト4を目ざす」という岡田武史監督の目標は、ここにきてもなお中身を伴うことができずにいる。サポーターやファンの間では、監督解任を要求する「熱」と、本大会での上位進出を諦める「冷やかさ」が同居しているように感じられる。

 サッカー協会の犬飼会長は、「この時期の監督交代にはリスクがある」として、岡田体制の継続を明らかにした。本大会まであと4か月だ。リスクはもちろんある。監督交代を踏み止まる理由のひとつとしては、それなりの説得力を持つものだろう。

 東アジア選手権の戦いぶりをみる限り、ベスト4どころかグループステージ突破さえ危うい。続投させるのも相当な覚悟が必要だ。これもまた、難しい決断だったと思う。

 いずれにしても、南アフリカW杯でグループステージ敗退となれば、「やっぱりダメだったじゃないか」という批判を浴びることになる。ただ、批判されるならまだいい。そこに「熱」が感じられるからだ。恐ろしいのは「やっぱり」が絶望感となり、サッカーへの興味を失ってしまう人が増えてしまうことだ。これは本当にヤバい。

 サッカー離れが始まっているのは、すでに周知の事実である。2月2日に大分で行なわれたベネズエラとのテストマッチは、ワールドカップイヤーの国内初戦だというのに2万7千人をほんの数人越える観客しか集まらなかった。中国を迎えた東アジア選手権の開幕戦は、2万5千人台にとどまった。香港との第2戦は1万5千人台まで落ち込み、韓国との最終戦で何とか4万2千人台まで持ち直した。しかし、その韓国戦で1-3の完敗を喫してしまい、試合後には岡田監督の解任を要求する横断幕が掲げられた。

 歯ごたえのない相手とのゲームで、しかも寒さが厳しいとなれば、「テレビでいいか」と考える人が増えてもおかしくない。しかし、かつての代表マッチは、対戦相手や気候に左右されない吸引力を持っていた。それが、ここにきてすっかり失われつつある。

 3月3日には、アジアカップ予選のバーレーン戦がある。アジアカップの予選通過はすでに決まっている。率直に言って消化試合だ。しかも、バーレーンとは岡田監督就任後だけで5回も対戦している。新鮮味はない。サッカーもロングボールに頼る単調なものだ。アピール度の薄いゲームである。豊田スタジアムでの代表マッチは08年5月以来だが、平日のナイターにわざわざ出かける動機は探しにくい。

 岡田監督は海外組を招集するようだ。観客動員を意識したわけではなく、チーム作りを進めるためだが、中村俊輔や長谷部誠らが合流しても空席が目立つようだと、いよいよ危機的状況である。

 魅力あるサッカーをして、観客を取り戻すきっかけにできるか。後退ムードを加速させてしまうのか。W杯をまえにして、日本サッカー界は試練を迎えている。

日本人が出たツールはどう違ったか‐記者の立場で‐

写真・文:土肥志穂

以前、このAJPSのサイトで「自転車がスポーツとなる日」http://www.ajps.jp/locker/diarypro07/diarypro/diary.cgi?no=6と題して、コラムを書かせてもらった。今回はその続きになるようなことを書こうと思う。

ファイル 53-1.jpg2000年からツール・ド・フランスの取材をしている私は、初めて、日本人が走るツールを経験した。夢にまで見た母国語での取材。知りたかったことが、微妙なニュアンスを交えて聞くことができたので、これまでにない充実感を持って1か月を過ごすことができた。

しかし逆に、「微妙なニュアンス」がわかるからこそ苦労する面もあった。それは、選手が聞かれたくないようなことを聞かなければならないときだ。「質問はどの言葉を選ぶか?」、「声をかけるタイミングは?」…。声のトーンや言葉尻でも相手の心理状態がわかってしまう。それが、同じ国に生まれた同士の間柄だ。

ある日、ゴールしてきた日本人選手を追いながら(向こうは自転車なので、こっちは毎日走りっぱなし)、その背中に向かって「今日のレース展開を教えてください!」と叫んだ。するとその選手は「僕にレース展開を聞かないでくださいっ!」と、半ば怒り気味に返してきた。私は、彼自身がスタートからゴールまで「どのようにして走ってきたのか?」を聞きたくてそう質問した。しかし彼は、「レース全体の展開を教えてくれ」の意味に取ったのだ。先頭集団から遅れた彼には、前で…、つまりレースの中心で何が起こっていたのか皆目見当がつかない。それを知ることができない自分に、腹を立てていたのだろう。そこへ私があのような言葉をかけた。

他のスポーツ取材では信じられない話かもしれないが、ツール取材10年目にして、初めてこのようなことを体験した。もっとも「なぜ日本人が出ていない競技を、これまでずっと取材していたのか?」と、私自身問いかけたくなるくらいだ。この問いかけは、外国人記者からさんざん言われてきたことだが、いつも無視していた。「私はロードレースの楽しさを日本に知らせたくてここに来ているんだ!」と。でも今はわかる。

それからその選手に質問をするときは大変気を使った。ツールは長い。毎日、毎日、自転車で走る。「レース展開」という言葉は使えない。「今日はどうでした?」と毎回聞くのもバカみたいだ。「スタートからゴールまで、どうやって来たんですか?」と聞きたいのだが、「いや、自転車で」と答えられそうだ。「どこで遅れた?」とは聞けないし、「どこまで集団についていた?」と聞けばいいのか?

とにかく、母国語の取材はいいことばかりではなかった。でもまぁ、いいことのほうが多かったか。

ファイル 53-2.jpg海外記者から日本人記者が取材されることもあった。これはまったく予想してなかった。それがとても多いことにも驚いた。日本人出場は13年ぶり。また、2人以上同時出場は史上初だ。ツール前からそれは話題となり、プレスセンターで、はたまたスタート前の選手出待ちの場面で、様々な海外メディアから日本人選手の情報、日本の自転車事情を聞かれた。先ほどから何度も言うようにツールは1か月もあるため、半分を過ぎた頃には、みんな何か新しいネタをやりたくなる。そこでドイツ国営放送局ARDでは「日本人選手を取材する日本人」として、ドキュメンタリー番組も制作された。日本人がツールに出ることはこういうことなのかと、しみじみ思った。

ファイル 53-3.jpgそんな1か月を終え、日本人2人はパリへ無事にゴールした。史上初の日本人ゴールだ。また、最終ステージでは敢闘賞も獲った。これはツールにおける日本人初の賞だ。

そして自転車はスポーツになったのか? まだ、それはわからない。正直言って、もう少し時間がかかりそうだ。でも、街をスポーツ自転車で走る人はさらに増えている。まだブームは続いている。

このブームに乗って、今年もさらに自転車ロードレース界が盛り上がることを祈っている。それにはまず、日本人選手がまたツールに出てくれることも大切だ。今のところ確率は50パーセントくらい。また出場してくれれば、取材するほうとしても昨年の反省点が活かせる。そして、日本人がもっともっと海外で活躍してくれれば、「レース展開」と聞いても、「自分がどんな走りをしたのか」を答えてくれる余裕も出てくるだろう。


写真上段左
史上初、日本人2名でツール出場&ゴール。
右が別府史之選手、左が新城幸也選手。

写真中断右
あるステージのゴール後。
バックヤードに組まれたスタジオで、ベルギーの生番組へ出演する別府選手。

写真下段左
外国人の観客も、羨望のまなざしで日本人選手をみつめる。
国籍は関係なく、ツールに出る選手はいつもスターだ。

失敗を繰り返してきた2009年陸上界MVPの村上

文・写真 寺田辰朗
競技中写真 築田 純

 陸上競技のオリンピックや世界陸上の代表選考の際に必ず挙がるのが、「派遣人数を絞れ」という声である。陸連内部でも、担当記者たちの間でも聞かれる。筆者はその意見には反対だった。経験を積む機会を与えることで、数年後に芽が出る可能性もある。無駄な派遣にはならないと思っていた(専門誌出身記者は判断が甘い、とも言われるが)。
ファイル 52-1.jpg 12月15日のアスレティックアワードで2009年最優秀選手に選ばれた村上幸史(スズキ)は、オリンピックと世界陸上で予選落ちを繰り返してきた選手だった。惜しいところで決勝進出を逃した、ということもなかった。その村上が8月のベルリン世界陸上男子やり投銅メダル。この種目では五輪を含めても初めて、投てき種目では室伏広治(ミズノ)に次いで史上2人目の快挙だった。

ファイル 52-3.jpg 過去の実績もそうだが、大会前の持ち記録もメダル獲得レベルではなかった。ベルリンで投げた83m10(日本歴代2位)は余裕でA標準(※)を超えているが、大会前の80m54はB標準しか破っていなかった。「そこを書いておいてくださいね」と、村上本人も話している部分だ。
 そういった選手がオリンピックと世界陸上への出場5回目で、一気に花開いた。「過去の大会の経験から可能性を感じられた部分も大きかった」(村上)。技術的な手応え、精神的な余裕が、徐々に大きくなっていた。
(※)陸上競技は参加標準記録にAB2つがあり、A標準を破った選手は1国3人まで出場できるが、B標準では1人しか出られない。ベルリン世界陸上のA標準は81m00で、B標準は78m00。村上はつねにB標準での参加だった(強力なライバルが国内にいなかった)

 同じことが言えるのが女子ショートスプリントの福島千里(北海道ハイテクAC)である。2009年は100 mで2回、200 mで2回、4×100 mRで1回と、合計5つの日本新をマークした。世界陸上の100 mでは女子ショートスプリント初の2次予選進出。アジア選手権は28年ぶりに優勝した。
ファイル 52-2.jpg 躍進の理由を問われた福島は「北京五輪の経験が大きかった」と答えている。08年に初めてB標準を突破。陸上競技最後の枠に滑り込んだが、その時点の世界リストなど数字重視の選考なら外されていただろう。将来性を考慮して陸連が代表に選んだのだ。北京では1次予選落ち。4ラウンドある種目で最初のラウンドを破れなかった。陸上競技全体でもレベルの低い部類に入る。
 陸上競技のパフォーマンスは、トレーニングや走りの技術が左右するが、2009年の福島はそこを大きく変えたわけではない(北海道ハイテクACの中村宏之代表によりトレーニングは確立されている)。福島が変えたのは、日々の練習や日常生活に取り組む姿勢で、北京五輪の経験が大きなモチベーションになっていた。
 8年前にも似たケースがあった。シドニー五輪でハードルを引っかけて転倒した為末大(APF)が、翌01年のエドモントン世界陸上で銅メダル。シドニー五輪で9位と敗れた室伏広治(ミズノ)は、エドモントンで銀メダルを取っている。

 よく比較されるのが少数精鋭で臨んでいる水泳だが、今回紹介したように、陸上競技では失敗した選手が成功している。
 陸上競技のなかではマラソンが、水泳に近いかもしれない。ベルリン世界陸上銀メダルの尾崎好美(第一生命)のように、初の国際舞台でも結果を出す選手も多い。国内の選手層が厚い種目で、そこを勝ち抜くことで国際レベルの実力をつけているのだろう。
 室伏や村上の場合、日本選手権で10回以上勝つなど国内2番手選手との差が大きい。フィールド種目を中心に、同様の種目が多いのが陸上競技の現実だ。期待できる選手が限られているのであれば、可能性のある選手に積極的に経験を積ませることが有効な強化だと思う。

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