写真・文:土肥志穂
以前、このAJPSのサイトで「自転車がスポーツとなる日」http://www.ajps.jp/locker/diarypro07/diarypro/diary.cgi?no=6と題して、コラムを書かせてもらった。今回はその続きになるようなことを書こうと思う。
2000年からツール・ド・フランスの取材をしている私は、初めて、日本人が走るツールを経験した。夢にまで見た母国語での取材。知りたかったことが、微妙なニュアンスを交えて聞くことができたので、これまでにない充実感を持って1か月を過ごすことができた。
しかし逆に、「微妙なニュアンス」がわかるからこそ苦労する面もあった。それは、選手が聞かれたくないようなことを聞かなければならないときだ。「質問はどの言葉を選ぶか?」、「声をかけるタイミングは?」…。声のトーンや言葉尻でも相手の心理状態がわかってしまう。それが、同じ国に生まれた同士の間柄だ。
ある日、ゴールしてきた日本人選手を追いながら(向こうは自転車なので、こっちは毎日走りっぱなし)、その背中に向かって「今日のレース展開を教えてください!」と叫んだ。するとその選手は「僕にレース展開を聞かないでくださいっ!」と、半ば怒り気味に返してきた。私は、彼自身がスタートからゴールまで「どのようにして走ってきたのか?」を聞きたくてそう質問した。しかし彼は、「レース全体の展開を教えてくれ」の意味に取ったのだ。先頭集団から遅れた彼には、前で…、つまりレースの中心で何が起こっていたのか皆目見当がつかない。それを知ることができない自分に、腹を立てていたのだろう。そこへ私があのような言葉をかけた。
他のスポーツ取材では信じられない話かもしれないが、ツール取材10年目にして、初めてこのようなことを体験した。もっとも「なぜ日本人が出ていない競技を、これまでずっと取材していたのか?」と、私自身問いかけたくなるくらいだ。この問いかけは、外国人記者からさんざん言われてきたことだが、いつも無視していた。「私はロードレースの楽しさを日本に知らせたくてここに来ているんだ!」と。でも今はわかる。
それからその選手に質問をするときは大変気を使った。ツールは長い。毎日、毎日、自転車で走る。「レース展開」という言葉は使えない。「今日はどうでした?」と毎回聞くのもバカみたいだ。「スタートからゴールまで、どうやって来たんですか?」と聞きたいのだが、「いや、自転車で」と答えられそうだ。「どこで遅れた?」とは聞けないし、「どこまで集団についていた?」と聞けばいいのか?
とにかく、母国語の取材はいいことばかりではなかった。でもまぁ、いいことのほうが多かったか。
海外記者から日本人記者が取材されることもあった。これはまったく予想してなかった。それがとても多いことにも驚いた。日本人出場は13年ぶり。また、2人以上同時出場は史上初だ。ツール前からそれは話題となり、プレスセンターで、はたまたスタート前の選手出待ちの場面で、様々な海外メディアから日本人選手の情報、日本の自転車事情を聞かれた。先ほどから何度も言うようにツールは1か月もあるため、半分を過ぎた頃には、みんな何か新しいネタをやりたくなる。そこでドイツ国営放送局ARDでは「日本人選手を取材する日本人」として、ドキュメンタリー番組も制作された。日本人がツールに出ることはこういうことなのかと、しみじみ思った。
そんな1か月を終え、日本人2人はパリへ無事にゴールした。史上初の日本人ゴールだ。また、最終ステージでは敢闘賞も獲った。これはツールにおける日本人初の賞だ。
そして自転車はスポーツになったのか? まだ、それはわからない。正直言って、もう少し時間がかかりそうだ。でも、街をスポーツ自転車で走る人はさらに増えている。まだブームは続いている。
このブームに乗って、今年もさらに自転車ロードレース界が盛り上がることを祈っている。それにはまず、日本人選手がまたツールに出てくれることも大切だ。今のところ確率は50パーセントくらい。また出場してくれれば、取材するほうとしても昨年の反省点が活かせる。そして、日本人がもっともっと海外で活躍してくれれば、「レース展開」と聞いても、「自分がどんな走りをしたのか」を答えてくれる余裕も出てくるだろう。
写真上段左
史上初、日本人2名でツール出場&ゴール。
右が別府史之選手、左が新城幸也選手。
写真中断右
あるステージのゴール後。
バックヤードに組まれたスタジオで、ベルギーの生番組へ出演する別府選手。
写真下段左
外国人の観客も、羨望のまなざしで日本人選手をみつめる。
国籍は関係なく、ツールに出る選手はいつもスターだ。