当協会会長水谷章人より記念の写真を贈呈

第3回 AJPS AWARD 2009

第3回 AJPS AWARD 2009「鈴木憲美」氏に決定!

鈴木憲美(すずきのりよし)■受賞理由
国立競技場のグランドキーパーとして、 1989年に国内の競技場としては初めてのオーバーシーディング方式の芝生育成を実施。それまで冬季には枯れていたフィールドの芝生を1年を通じて緑に保つことに成功した。さらに第3回世界陸上選手権を翌年に控えた1990年には、同じく国立競技場のフィールドを砂床に変え、水はけのよいフィールドを実現。鈴木氏をはじめとした国立競技場のグランドキーパーの試みが成功したことにより、その後、国内には1年を通し緑色を保った水はけに優れた芝生のグランドが数多く誕生することになった。

鈴木憲美(すずきのりよし)

昭和22年2月15日、東京目黒区生まれ。昭和40年、都立園芸高校卒業、同年4月1日、国立競技場職員に。平成22年3月1日、国立競技場職員を定年退職。

第3回 AJPS AWARD 2009 表彰式

2010年度(平成22年度)AJPS総会後の懇親会にて、AJPS AWARD2009の表彰式が開催され、受賞者の鈴木憲美氏をお招きし、当協会会長より記念品の写真盾が手渡されました。

第3回AJPS AWARD 2009 記念盾
第3回AJPS AWARD 2009 記念盾
挨拶をされる受賞者の鈴木憲美氏
挨拶をされる受賞者の鈴木憲美氏
当協会会長水谷章人より記念の写真を贈呈
当協会会長水谷章人より記念の写真を贈呈

第3回 受賞者インタビュー 鈴木憲美氏

「毎日が楽しかった。生きてる芝を見るのが面白かった。苦労なんて思ったことは一度もなかったね」

鈴木憲美氏★★国立競技場の芝を1年中、緑にするきっかけとなったのは?

鈴木– 81年ですかね。トヨタカップで来日していたヨーロッパ代表のリバプールが、試合前日に国立競技場で練習をして、そのときのコーチが「明日の試合はどこでやるんだ?」と聞かれ。どうしてと聞き返すと「ここには芝がないじゃないか」って、いたずらっぽく笑ったんです。そんなこと、それまで日本の選手にいわれたことはないし、枯れているけども、芝はいくらかあったんですよ。だから「日本の気候、風土からいうと冬は黄色くなるんです。枯れているんじゃないです。こういう性質の草なんです」と説明はしたんですが、彼らにいわせれば信じられないんですよ。雪の中でも青い芝でプレーしているんだからね。それがきっかけでしたね。自分にもプライドがありました。世界の一流選手に最高のグラウンドを提供しないといけないと。

★★最初に手掛けたことはどんなことですか。

鈴木– 国立の芝は夏芝ですから春、夏に育ち秋、冬には枯れて黄色くなるんです。まず枯れた芝でもいいから伸ばそうと。伸ばせば砂ぼこりは起きない。最低限、そこまで持って行くのが僕らの最初の目標でしたね。枯れた芝でも残せれば、ホコリも立たないしイレギュラーもしない。転んでも怪我しにくいし安全だ。でも枯れた芝を残すには、グラウンドの使い方に問題が出てくる。枯れているわけですから、消耗をいかに抑えるかしかないわけです。当時は例えば高校サッカー選手権なら、国立でプレーできるのはベスト4からですよね。そうすると国立の練習に監督さんは部員全員をグラウンドに入れてボールを蹴らせるわけですよ。これじゃあダメだと、高体連の先生と一緒にサッカー部の監督にお願いにいったんです。怒られましてね(笑)「何いってんだ。国立に来るために1年間、どれだけ頑張ってきたか。彼らは来年、国立にこれるかどうかわからないんですよ。せっかく来たんだからやらせてください」って。それでも引かなかったですねぇ。それはわかります。でも世界の一流選手からいわれているので協力して下さい。2、3年後に選手登録をしているメンバーだけ中で練習して、ほかの選手は外でというようになったんです。

★★選手にとって国立競技場は憧れであり、国立でプレーするのが夢でもありますから監督さんの気持ちもわかりますね。

鈴木– そうですよね。ラグビーは早明戦が国立で行われています。トライのあとのゴールやペナルティゴールを狙うときにかかとで穴を掘るんですよ。これも良くないということでラグビー協会にお願いにいきまして「何でかかとで穴を掘らなきゃいけないんですか」これも怒られまして(笑)でもNHKで全国に流れるんですよ。僕らは高校サッカーの関係者や国立を使い方々に「大事に使って、いいグラウンドを一緒に作っていこう」といっていましたから。「これじゃあ、嘘つきになりますから何とかして下さい」それで、砂を置きますから山を作って蹴ってくださいとなった。ラグビー協会から全チームに通達して、砂で山を作って蹴る練習をさせたんです。これも2年かかったかな。
面白いことに、国立競技場を使う人たちが大事に使って、我々が手入れするとグラウンド全体がよくなる。グラウンドコンディションがよくなると、プレーの質もよくなるんです。逆にレベルの高い選手、レベルの高いチームがプレーすると、余計なプレーをしないからグラウンドは荒れないんです。だから、もっともっといいグラウンドにすれば日本のレベルがあがると思ったわけですよ。

★★それで次は緑の芝生に……。

鈴木– 春から夏は夏芝で、秋から冬は冬柴にする。オーバーシーディング方式で、わかりやすくいえば二毛作のようなものですが、日本では初めてもことですから。冬柴とはどんな草なのか、いろんなところに聞きにいきましたね。名門ゴルフ場の芝の管理をしている方のところにもいきました。「ほかのゴルフ場の人なら断るけど、競技場なら仕方がない」とかいわれてね。大学の農学部にいる芝の先生のところにもいって話すと「その通りだ」というんです。企画書を出して「先生のサインとハンコお願いしますというと「理論上ではわかるけど、自分の研究室でやったことがないからハンコは押せない」という。本とかでアメリカの例やヨーロッパの例としての知識はわかっているけども、実践してはいない。大学の農学部の先生でもやったことがないことを、僕らはやろうとしていたんですねぇ。帰りぎわに、いずれ先生のところに相談にくるはずですから「反対だけはしないでください」と約束だけはしてもらったんです。
それから国立競技場内で実験として種を蒔いて観察ですよ。上からやれといわれたわけじゃない。中には「俺の任期中にはやるなよ」っていう人もいました。予算措置もされていないのに、無理やり数字を動かしてもらったり、我々、裏方の人間が強引にやったところはありますね。種を蒔いて泊まり込みで観察して、パッと青くなったら、反対していた人が「もっと早く相談してくれればいいのに」って(苦笑)

★★実験に成功して、次にやらなければいけないことはどういうことだったんですか。

鈴木– 仲間を説得というか理解してもらうことですね。1年中、芝を青くするということは、僕らの仕事が単純に2倍になることなんです。それまでは正月の大会が終わると、国立競技場で行われる大会は3月ぐらいまでなかった。だから、みんなスキーに行っちゃう。それが種を蒔けば、冬の寒い中で水を蒔かなきゃいけない。肥料も与えなきゃいけない。伸びてくれば刈らなきゃいけない。今までは春から夏にかけてだったのが、秋から冬にかけても仕事しなきゃいけない。仕事が倍になるわけです。だから僕はみんなに「芝を青くするということは、スキーにいけないんだよ」と、わかってもらえないと先に進めないですからね。それで国立競技場は89年から青に芝になったんですが、日本中、いろんなところから見学にきましたね。中には「俺は、あと半年で定年だ。定年までストーブの前で、お茶飲んでみかん食っていれば、それで定年を迎えられたのに…。鈴木さんが余計なことやるから、これから冬の寒い中、外で仕事しなきゃいけねえなぁ」って、笑いながらいう人もいました。

★★約10年かかったわけですが、その間に1番苦労したことは何ですか。

鈴木– 苦労? 何回もそういう質問を受けたけど、面白くて楽しくて、しょうがないんだから。途中でやめるわけにはいかにし、だからといって自然に逆らって無理なことをやっているわけでもない。確かに、うまくいかないときもあったけど、国立競技場にきて5時を過ぎれば、毎日のように酒飲みですから。そんなことも忘れちゃう(笑) 僕は家にいるより国立競技場に来ていたほうが楽しかった。生き物が相手ですから気になってしょうがないんですよ。今みたいにコンピューターで管理というわけじゃないですから。体感ですよね。匂いと目で見て、その感触と様子を見て乾いていれば水をあげなきゃいけない。肥料が欲しそうにしてれば、肥料をあげなきゃいけない。常に観察していないと不安でしょうがないんですよ。ですから休みの日は嫌だったね。毎日でもいいから……、見ていて手入れするのが好きでした。僕はね、スポーツが大好きだから、この仕事をしていると、タダで一流選手のプレーが見れるんだもの。選手と話しもできる。大会が近づくと楽しくてしょうがなかった。タダで試合を見て給料まで貰えるのに、苦労なんてないですよ(笑)

★★それから全国に広まって、今では1年中青い芝の上で競技が行われるようになったんですね。

鈴木– 時代と共に競技場も変わっていったんですけども、もし国立競技場があのときやらなかったら……と思うと恐ろしいものがありますね。お天道様が指示したのかはわからないけど、あのあとにJリーグが開幕して全国に青い芝が広まっていった。お天道様の上で誰かが考えているのかなと思いました。約10年ですか、長いと思ったことはないです。あっという間でした。Jリーグが開幕したときも、開会式をする。リハーサルもやりたい。たくさんの人がグラウンドに入る。「ビクともしなからどうぞ」でした。心の中で「やった」って感じでしたね。
AJPSさんから、こんな賞を頂いて最初は、公立競技場がベースですから、個人名で貰っていいのかなと心配していました。でも、このトロフィーですか。ここに「国立競技場」って入っていたら事務所に持っていかなきゃいけないけど、僕の名前が入っているんじゃしょうがないですよね(笑) 家に持って帰って目立つところに飾っておきます。グランドキーパーとして45年。人生の半分以上かもしれないですけど、毎日が楽しかったですよ。

(取材/構成=渡辺達也)