「桐生が描く9秒台への道」Text 折山淑美

折山淑美=文

■10秒01の衝撃から1年

昨年4月の織田記念陸上で、高校生ながら日本歴代2位の10秒01をマークした桐生 祥秀。98年12月のアジア大会で伊東浩司が10秒00を出して以来止まっていた、日本人 9秒台の夢を実現する逸材と期待される彼がこの夏経験したのは、初めての“世界と の競り合い”だった。

 その舞台は7月22日からアメリカのユージーンで開催された世界ジュニア陸上競技選手権。昨年、世界のトップ選手との走りを経験するために出場した世界選手権とは違い、今回は大会前の今季世界ジュニアランキング3位。優勝も視野に入れての戦いだった。

 だが彼の置かれた状況は厳しかった。6月の日本選手権優勝後は足底を痛め、走れない日が続いた。7月に入ってやっと走れるようになったが、スパイクを履いたのは出発する1週間前で、ギリギリ間に合った状態だった。

 強力なライバルもいた。昨年のベストは1027ながら、今季は6月に9秒97の世界ジュニア記録を出した同い年のトレイボン・ブロメル(アメリカ)は、4月以降は10秒0台を5回、10秒1台も5回と安定しているうえに、5月には追い風42mの参考記録ながら9秒77を出していた。

 ブロメルは大会初日の予選でその実力の片鱗を見せつけた。追い風07mの中、ラスト20mを流して走り、1013を出した。続く第7組に登場した桐生は40mで予選通過を確信してその後は無理に加速せず1040。「ブロメル選手は流して1013だから。速いですね」と、その力を認めていたのだ。

ライバルたちとのつばぜり合い

 だが、翌日の準決勝でブロメルと同組で隣同士のレーンになると状況は変わった。気温が18度に下がる悪条件で、いきなりのライバルとの対決にブロメルにも力みがでた。

「決勝へ向けて、準決勝ではリラックスして40mから2次加速をする走りをしておきたかったから、ブロメルとの同走はいやだと思ったけど、一緒になってしまったから決勝のシミュレーションだと思って走った」

 こう話した桐生は、スタートから遅れずに出るとブロメルと並走し、50m過ぎには僅かに前に出るような走りを見せた。

 その二人に内側のレーンのイギリスと外側のバルバドスの選手も食らいつく激戦。

「ブロメルについていけば行けると思ったけど、他にも選手がいてビックリした」という桐生は、60m過ぎから力が入ってしまい、70m付近で骨盤周りの筋肉が痙攣して走りを崩した。結局1位のブロメルには0秒09遅れる1038で4位だったが、全体で

は4番目の記録で決勝へ進んだのだ。

 気温は17度まで下がり、向かい風06mの悪条件になった2時間半後の決勝に、桐生は治療に専念して、招集15分前から少し体を動かす程度で臨んだ。だが今度は2レーンで、6レーンのブロメルとは離れた位置。スタートの動きは準決勝より若干硬かったが、外側のレーンで競り合うブロメルやケンダル・ウイリアムスのアメリカ勢と互角の走りを見せた。70mからは膝の裏が交互に攣ってしまうアクシデントに見舞われたが、準決勝で敗れたレビ・カドガン(バルバドス)を0秒05抑え、アメリカ勢2人に次ぐ3位でゴールした。

「準決勝のあとは歩くだけでも股関節が痛かったので、それを気にしていて反対側の脚に力が入ったんでしょうね。準決勝時には9秒台を持っているブロメル選手とならんでいたので『アレッ?』と思ったところもあったんです。僕自身そこからまだ行ける気がしていたから、決勝は勝つ気で走りました。彼と70mまでは対等に走れたことは大きいし、1001を出していても、もしここで予選落ちしていたら、日本でしか戦えない選手だと思われただろうから。ダントツにやられた訳ではないので悔しさもあるけど、少しはタイムだけの選手ではないことを証明できたと思います」

「いつかは出る」確信の理由

 昨年1001を出した直後は、走っていても9秒台を意識していたというが、今は違う。桐生は「9秒台は狙っていないところで出るものだと思うし、いつかは出ますよ。それより今目標にしているのは、世界のファイナリストになるということだから」と言う。だからこそ、実力で粘りきって銅メダルを獲得できたことに意味を感じるのだ。

 電気計時の9秒台は、68年メキシコ五輪でジェイムス・ハインズが9秒95を出して以来、これまで世界では風速不明の一例を含めて94人が出しているだけの価値あるもの。だが昨年1年間では16名が9秒台を記録しているように、選手にとってみればそれは世界で戦うための最低条件ともいえるものでもある。「9秒台は特別な目標ではなく通過点にすぎない」という意識は桐生だけではなく他の選手たちも同じだ。

 陸上競技は順位を競う競技だ。その中で決勝進出を目標にしてより多くのラウンドを重ねていくことに努めていれば、9秒台はその副産物として手に入れられるものだ。そう考えて競技に取り組む選手が増えれば日本のレベルは上がり、いつしか9秒台も特別なものではなくなっているはずだ。

<著者紹介>

折山淑美(おりやまとしみ)

1953126日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』

Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。