AJPS報道展「The BEST」ライター会員作品集
言うまでもないが、アイスホッケーは、カナダの国民的スポーツだ。2010年に行なわれたバンクーバーオリンピックのアイスホッケーでは、男女ともにホームのカナダが優勝。劇的な男子決勝戦が終了すると、「次はアイススレッジホッケーの番だ!」というアナウンスが流れたという。
オリンピック後3月12日に開幕したバンクーバー・パラリンピック。そのアイススレッジホッケーで、トリプルゴールドを狙っていたカナダと、予選リーグ2位通過の日本が、現地時間3月18日、準決勝で激突。結果、日本は予選B組1位通かのカナダを3−1で降し、決勝に進出するという快挙を成し遂げたのだ。
■チェコと韓国に連勝して初の準決勝進出
アイススレッジホッケーは、スレッジと呼ばれる専用のソリに乗り、短いスティックを両手で持ってスティックで推進させながらプレーするアイスホッケーである。日本は1998年の長野大会からパラリンピックに出場しているが、3大会ともに5位止まり。バンクーバー・パラリピックでは、予選リーグでチェコと韓国に2連勝し、初の準決勝進出を決めた。
完全アウェーのUBCサンダーバードアリーナで行われた、カナダとの準決勝。第1ピリオドでカナダの先制点を許していた。
第2ピリオド。カナダの強力なフォワード3人を徹底的に封じ込める戦法が奏功し、徐々にカナダチームにあせりが見え始めていた。その間隙をつき、主将の遠藤隆行がセンターライン付近でカナダのパスをカット、そのままパックを運びゴール右隅にスライドシュートを決めた。さらに、第3ピリオド残り1分13秒、日本のポイントゲッター上原大祐が?橋和廣との連携で逆転ゴールに成功。カナダがキーパーを外し6人態勢で攻撃してきた残り16秒、日本側からこぼれたパックがスルスルと無人のカナダのゴールに吸い込まれ、結局3−1で大金星を挙げたのだった。
■「9999回負けてもいい、この1回だけ勝て!」
「1ピリの終盤から、カナダは先制点を挙げているにもかかわらず、本来のようにプレーができていないことで、体力的にもモチベーション的にも落ちてきている、ということがわかったんです。僕らは、ここで欲をかいたら終わりだ。これまで通り、日本らしくプレーしていこうと、声を掛け合いました」
そう語るのは主将の遠藤。いつも通り、日本らしいプレーが、自身のゴールにも結びついた。
「カナダがパスを出す瞬間、選手のカラダが開くのが見えた。それで、このコースにパスが来る、と。失敗したら、逆にカウンターをくらいます。カナダが冷静だったら、あそこで絶対にパスを出さなかったはずです。焦って、パスを出してしまった。そういうプレッシャーを、日本がかけ続けていたのだと、思います」
第3ピリオドで貴重な逆転ゴールを決めた上原も、振り返る。
「カズ(?橋)がパスを出した瞬間、これは決まる! と確信しました。第3ピリオド1−1の状態で、先に得点したほうが絶対に勝つ、と思っていました。狙い通りのゴールでした」
アタッキングゾーン左サイドに攻め込んでいった上原がパックを拾うと、センターに上がってきた?橋にパス。カナダのディフェンスが?橋に集中すると、ゴール前左にできたスペースに入ってきた上原にパックを戻して、そのままシュート。
日本が目指してきた形が、見事に決まった。
試合終了後のブザーがリンクに鳴り響くと、ベンチからも選手が飛び出しゴールキーパーの永瀬充のところに集まって、雄叫びをあげた。
永瀬は、かつてソルトレイク大会を挟んで3年間、カナダにアイススレッジホッケー留学をした経験がある。カナダに勝利することには、格別の思いがあった。
「カナダ人にとって、ホッケーは生活の一部。国民全員がホッケーに対して誇りを持っている。その国で、日本がカナダを倒した。メダル以上の価値があると思っています」
試合終了後、涙でぐしゃぐしゃになりながらも、観客席に向かって丁寧に挨拶を繰り返す日本チームに、準決勝に詰めかけた観客がスタンディングオベーションで讃えた。
「個人の力ではカナダにはかなわない。でも、チーム力で勝てた。本当に大きな1勝です」(遠藤)
「中北(浩仁)監督に、“9999回負けてもいい、この1回だけ勝て!”と言われました。1万分の1を、僕らが勝ち取りました」(上原)
■中北監督に贈られた集大成の銀メダル
20日に行われた決勝戦では、日本は同じ予選A組だったアメリカと対戦。予選リーグでは0−6と大差で破れた相手に、決勝戦では0−2で惜敗し、結果、銀メダルを獲得した。
長野大会から4大会連続出場する石田真彦が言う。
「アメリカに先制されても、日本はミツ(永瀬)のファインセーブもあり、落ち着いてアメリカの猛攻を抑えることができた。3ピリ、リズムをつかみかけたところで、だめ押しの1点を追加されてしまいましたが…」
結局、アメリカのネットを揺らすことはできなかったが、最後まで走り攻め守る日本のスタイルが衰えることはなかった。
「日本チームが誕生したばかりの15年前には、世界選手権で0−21という、あり得ないスコアで惨敗したことを思い出していました。日本は中北監督のもと、ソルトレイク以降、カラダづくりからスキル、戦術までみっちり仕込まれてきた。今大会は集大成です」
表彰式の後、ロッカールームに戻ると、遠藤の提案で、選手たちは一人ずつ、中北監督の首に15個の銀メダルをかけた。
「感謝の気持ちを伝えるために、メダルをかけたいと言ってくれて。男泣きしました」(中北監督)
そのメダルを、今度は監督がスタッフに一つずつかけていった。選手15人とスタッフ全員で勝ち取った、栄誉のリレーだ。こうして、歴史に残る名勝負は幕を閉じたのだった。
(初出:Tarzan 557号)