AJPS報道展「The BEST」ライター会員作品集
ヘスス・ナバスが進む。
ファンデル・ファールを抜いた。進む、進む!
阻むネイヤーを振り切った!ナバス我慢!
ボールはイニエスタへ。
イニエスタ、外のファブレガスへ。
ファブレガスからナバス。
ナバスからトーレスへ。
トーレスが放つ。
ファブレガス! ファブレガス!
今だ!
イニエスタ!
ゴーーーール!!
2010年7月11日、南アフリカ・ワールドカップ決勝、延長25分55秒。この瞬間、スペイン中が歓喜に沸いた。
今でもあの時のナレーションは耳に残る。あの場面のビデオを観ると、すでに5年近く経っていても鳥肌が立つようだ。
長い間スペインで生活してきて、幸いなことに何度ものCL優勝を取材できた。しかしスペイン代表の話はそれほど重要でもなかったし、歴史に残るものもなかった。2008年の欧州選手権ですら、予想外の喜びはあったものの、国中を上げてとは言えなかった。
欧州選手権については、スペインは1964年大会の初優勝というものを経験している。今でも大きな国際大会前になると、決勝ゴールを挙げたマルセリーノやアマンシオ、シコら当時の選手たちがメディアに登場し、64年のヒーローとして健在だ。アマンシオは今でも昔話で自慢を繰り返す。以前、レアル・マドリーの役員をしていた時のインタビューでは、私の質問よりも、いかにかつての選手たちが偉大だったかをとうとうと話されて閉口したものだ。当時のことを映像でしか知らないこちらとしては、気が済むまで話してもらうしかなかった。つまり、数は少ないものの、欧州選手権優勝は“経験したもの”だった。
お恥ずかしいことに、私はこの大会でスペインは準々決勝止まりと見て、決勝は日本に滞在していた。
■「なんで、よりによってこんな日を結婚式に――」
W杯決勝の日を的確に描いたスペインのコメディ映画La Gran FAMILIA ESPAÑOLA(2013年ダニエル・サンチェス・アレバロ監督)があった。日本では放映されなかったようなので、概要を書いてみよう。
地方の結婚式の一日を描いた話で、それが2010年の南アW杯決勝の7月11日に行われたところからの悲喜こもごも。5人兄弟の一番下の弟がデキ婚(余談だが、これをスペインでは「ペナルティ結婚」という)の結婚式を挙げるため、仲違いしていた兄の一人が戻ってきたり、花婿が双子の花嫁のどちらを本当に好きか分からなくなったり、式の途中で花婿の父親が病に倒れたりと、アクシデントの連続。時差のない南アフリカとスペインだから、その間に試合と並行して物語が進む。
それはさておき、映画の冒頭を取り出そう。
憤った花婿の長兄:「なんで、よりによってこんな日を結婚式に選んだんだ」
花婿:「だって、誰もスペインが決勝に行くなんて思ってなかっただろ」
ここでまず爆笑。
私はこの映画をスペイン・サッカー連盟本部でのプレ試写会で見た。その席には、スタッフやキャストの映画関係者だけでなく、合宿中の代表チームもいた。前記の場面で選手たちからも爆笑が起こったのは、彼等も少なからずそう思っていたか、周りから思われていたのを知っていたからだろう。
私としては、ユーロカップ時に日本へ帰国していた大失敗があるから、自責を込めての笑いになってしまったが。
■売り切れ状態になったスペイン国旗
W杯前年のコンフェデレーション杯は現地取材していたが、期間の長い本大会での女一人旅はとてもじゃないが無理と知った。コンフェデではスペイン代表に帯同するメディア・ツアーを使用したが、かなりの出費に対して、ネット環境の悪さなど支障をきたす面が多かった。そのため、私はスペインに残って仕事を続けた。毎試合後の電話インタビューなど、南アフリカでは難しい仕事ができたので、ある意味、現地入りせずに正解だったかもしれない。だからこそ今、あの時のスペインの状況を思い出すことができる。
欧州選手権優勝という予行演習はあったもの、本気で優勝を信じたスペイン人は多くなかった。たとえば、ある家電量販店が「スペインが優勝すれば代金返還!」キャンペーンを張った。この催しは2006年大会でも行われ、店側は当時はやりの薄型テレビを売りまくった。しかし2010年は予想に反して返金が生じたため、2014年にはキャンペーン自体無くなった。
当時の資料を引き出してみよう。大会期間の飲食店も売り上げを伸ばした。これは気取ったレストランではなく、大型画面のテレビを備えたバルなどに集中したもの。ビールを含む飲料が例年の20~30%増しとなり、決勝(延長を含めて)では50~60%の売り上げ増につながったとスペイン飲食店協会が発表した。
バルだけでなく、ビールの売り上げ15%増、清涼飲料20%増。そしてスペインでは珍しくケータリングするTelepizzaは42%増と、主婦を料理から解放した。奥さんやお母さんだって試合を観たい。
また、スペインの国旗が売り切れ状態になった。繊維問屋スパシオによると、W杯を見込んで大量発注していたものの、大会が始まってから毎日300枚が売れ、途中で在庫がなくなったそうだ。主任のマリスカル氏は、「スペイン国旗はすべて売りつくされた。日頃は全く売れないのに。スペインではこんなことでもない限り国旗を掲げないなんて残念だ」と、書き入れ時での準備不足を嘆いた。
共に赤黄の横縞旗のカタルーニャやバレンシアでは、その州旗も多かったのは致し方ない。独立運動が強い地域でも、この日ばかりはひいきチームの垣根を越えてスペイン代表を応援した。もっとも、カタルーニャの地方紙やスポルツは、翌日の表紙をイニエスタにしていた。
■人生の貴重な一コマとして忘れられないゴール
家々のバルコニーやテラスには国旗が飾られ、赤いユニホームや代表のロゴ付帽子が街中を埋め、商店もロッハ(赤)で飾り付けられた。商店や飲食店の従業員だけでなく、市役所の職員まで代表ユニホームで仕事をしていたのには驚いたものだ。それがマドリードなどの都市だけでなく、スペイン中の村々隅々まで起こった現象だった。映画はまさにそれを再現したのだ。
あの決勝の日は、生活の一部だったサッカーが生活そのものになった。そしてイニエスタのゴールは、どんなスペイン人にとっても人生の貴重な一コマとして忘れられないものになった。
あの時、どこにいた?
あの時、誰と観た?
あの時、何を感じた?
イニエスタは振り返る。
「ボールを蹴る瞬間、無くなるはずのない音が消えたんだ。静寂の中、あのボールは絶対入るとわかった」
ヨハネスブルグだけでなく、スペインでも、あの時音が消え、あの後大歓声が上がった。
優勝から三か月後、インタビューしたビセンテ・デル・ボスケ代表監督にW杯前後の思い出を聞いた。
「今回のW杯優勝は日頃サッカーに関心のない人々をも巻き込んだ。スペイン中が試合に釘付けになり、優勝の歓喜に沸いた。スポーツにはそれほど大きな影響力があるからこそ、携わっている我々も良い影響を与えたいとしている」
「スペインはサッカー大国でありながらW杯での優勝経験がなかった。スペインがW杯の歴史に残ることは、私にとって、最初からの責任を果たせた満足感をもたらした。非常に大きな喜びだった」
スペイン初のW杯優勝。スペインが一つになった日。そしてスペイン最良の日だった。