AJPS報道展「The BEST」ライター会員作品集
走るって、表現することなんだな。 初優勝した青山学院大の選手たちの歓喜の表情、笑顔を見て、そう実感した。 これまでの箱根では、タスキを渡して倒れ込むのが表現の定番だった。選手は無意識だろう。しかし、結果的に走るとは苦しいことであり、晴れ舞台の箱根でこそ、死力を尽くすーー。多くの選手がそうした表現手段しか持ち合わせていなかった。 しかし、青学大の選手たちはタスキを渡した後もうれしそうで、ピンピンしていて、もう一度、喜んで走り出しそうな気配だった。 「そりゃ、そうよ。そういう選手に声を掛けてるんだから」と原晋監督は胸を張る。 「いい意味でチャラいのが青学のスクールカラー。だから、私は青学らしい表現力豊かな選手をリクルートしてきました。きちっと自分の言葉で表現できること、走った後にどう感じたかを表現することだって、強くなる要素だからね。優勝は選手が成長した結果です。私? 今回は運営管理車に乗って、選手の後ろ姿を見てただけ(笑)」 監督はそう謙遜するが、10時間49分27秒という驚異的な記録を出した原動力とはなんだったのか。 それは原監督が選手に「表現」する力を言葉で、そして走りにも求めてきたからだと思う。 箱根駅伝とは不思議な大会で、ゴールした後に喜ぶのは優勝したチームと10位のチームだけ、というケースが多い。今回、3位に入りながら東洋大の服部勇馬は部員の前で悔し涙を流しながら雪辱を誓っていたが、3位という立派な結果なのに、そこには喜びがない。その意味で、箱根はシビアな大会なのである。 ところが、青学は5位でも8位でもゴール後はいつでも喜んでいるという、ある意味、不思議な大学だった。 ここは原監督のキャラクターも影響していたと思う。サービス精神旺盛で今回も「ワクワク大作戦」やら、「駒大を逃がしちゃ、ダメよ〜ダメダメ作戦」といったマスコミが喜びそうなフレーズを連発するので、それに惑わされてしまいそうになるが、根っこにあるのはポジティブな発想だった。それが今季、強さに変わったな、と思ったのは全日本の後である。 青学大は最終8区、アンカーの神野大地が明大の大六野秀畝に逆転されて1秒差で3位に転落した。しかしレース後、神野は落ち込むことはなかった。「自分が出来ることはすべてやりました。もう少し粘りたかったですが、大六野さんの方が強かったので、箱根ではいい形で挽回できればと思います」。 驚いた。もちろん、涙もない。ゴール直前で抜かれた選手が、これだけ前向きな発言をしたことは記憶になかった。事実、このあと神野はメンタル的に落ち込むことなく山上りへの準備へと入っていく。 神野だけではない。今回の箱根を走った10人の選手たちの表現は、これまでの箱根の常識とはかけ離れていた。 1区の久保田はとにかく楽天的。「いやあ、強い選手たちとたくさん駆け引きできる1区は最高ですよ。でも、来年は復路を走ろうかな。10区のアンカーとか、良くないですか?」。それは原監督が許してくれないだろう。 2区の一色恭志は学習能力が高い。 「全日本の1区では揺さぶられて苦しい思いをしたんですが、今日は前半をグッと我慢したら後半が伸びたんです。大学に入ってからいちばんいいレースが出来たと思います」。彼は駅伝を走るごとに学びがあり、どんどん強くなっている。 7区の小椋は青学大きっての知性派。 「3年連続で7区を走ったので、区間賞しかないと思ってたんですが、走っていてずっと楽しかったです。誰も追わずに走るって、気持ちのいいものなんですね」。彼の言葉には実感がこもっていた。 そして表現力に関してはトップレベルの8区を走った高橋宗司は、最後も彼らしい言葉で締めた。 「こんな劇的な幕切れだとは思ってなかったですし、日本の中で僕がいちばん幸せだと思います」と言った後で、「これで陸上からは引退しますーー。一般企業に就職した後は、夢だった草野球選手になります!」。青学らしくて、思わず笑ってしまった。 ただし、これだけポジティブになれる選手の陰で、プレッシャーに負けた選手がいることも忘れてはならない。参加校の中で最も分厚い選手層を誇る青学大は「強い者だけが走れる」世界なのだーー。 言葉と連動して、身体、そしてメカニックの面でも大きな進化があったことも見逃せない。レースでは「体幹」の強さ、ランニング・フォームの安定性が目を引いた。たとえば小椋はもともとしっかりした走りが特徴的だったが、前回、前々回のフォームと比較すると、身がギュッと詰まった感じで、前方への駆動力が増している。 選手の走りをずっと後ろから見つめてきた高木聖也主務は「前回と比べたら、体幹の強さがまったく違います。軸がブレないんですよ」と証言する。 今季からはフィジカル・トレーナーの中野ジェームス修一氏を招くなど、様々な新しいことに取り組んできた。これも停滞を嫌い、失敗しても「なんとかなるさ」とポジティブな姿勢を崩さなかった原監督の自由な発想力の賜物である。 そして青学大の優勝が清々しかったのは、16人の登録メンバーに入りながら、最終的に走れなかった選手たちが笑顔を見せていたことだった。 優勝した大学でも、走れなかったメンバーの中には自分の不甲斐なさと折り合いをつけられないのか、記念撮影の間もブスっとした選手も中にはいる。私はそれを責めない。素直な気持ちの表現だからだ。 しかし、青学大の選手たちは優勝メンバーの一員になったことが誇りのようだった。全日本では区間賞を取り、主軸のひとりだった川崎有輝は大腿骨を疲労骨折し、今回は5区と9区の給水係に回った。最後の箱根、走れずに悔しかっただろう。しかし、閉会式でも彼の表情は明るかった。 「給水での走り、良かったでしょう? もう、治ってます。今日、9区や10区を走れと言われたら走れたんです!」 走る気満々なのだ。その話を原監督に確かめた。 「川崎? 9区、10区でも区間10位くらいだったら、走れるんじゃないかな。でも、彼に無理させる必要は、今のチームにはないんです」 もしも他校だったら、とりあえず16人にエントリーし、藁にもすがる思いで川崎を使っていたかもしれない。 しかし、青学大は違う。原監督が作り上げた選手層の厚みが驚異の記録を生んだのである。 選手の笑顔。すべてが「表現」として結実し、2015年の箱根、青山学院大は勝つべくして勝った。