「W杯最年長・大野均がもらった祝福メール」 Text 松瀬学 / MATSUSE MANABU

AJPS報道展「The BEST」ライター会員作品集

激烈なラグビーのワールドカップ(W杯)の戦いが終わった。最後の米国戦の翌朝、日本代表最年長の37歳、キンちゃんこと大野均(東芝)の顔には充実感が漂っていた。英国グロスター近郊のホテル。いつもの、のどかな口調で感想を漏らした。 「1、2度目のワールドカップでは全然勝つことができずに終わった。でも、3度目の今回は勝つことができた。決勝トーナメントにいけなかった悔しさはあるけど、率直にいえば、大きな達成感があります」 確かに目標のベスト8入りは逃した。だが日本代表は歴史的な勝利を3つも積み重ねた。これまでの7大会で通算1勝21敗2分けだったのだから、いかにこの成績が快挙だったかがわかる。 とくに初戦。過去W杯2度優勝の南アフリカにノーサイド寸前の逆転勝ちを収めた。このとき、キンちゃんは人目をはばからずに男泣きした。192センチ、106キロの大きなからだを震わせ、あごひげの顔をくしゃくしゃにした。 じつは、その日の夜、キンちゃんは日本のラグビー仲間から祝福の電子メールをもらった。日本代表の先輩、44歳ながらまだ現役、タケさんこと伊藤剛臣(釜石シーウェイブス)からだった。メールにはこう、あった。 <145点の記憶を消してくれてありがとう> 日本代表は1995年のW杯南アフリカ大会でニュージーランドに17?145で大敗した。もちろんW杯ワースト記録だった。タケさんは日本代表として99年のW杯英国大会に出場した。カーディフのパブで酔った見知らぬ外国人観戦客から「145点の悪夢」の話を持ち出され、口を開けて笑われた。 タケさんは悔しくて悔しくてたまらなかった。その悪夢を消し去る快挙を後輩たちがやってくれた。キンちゃんはすぐにこう書いて、返信メールを送ったそうだ。 <タケさんのおかげで今のオレがあります。タケさんに鍛えてもらったおかげです。こちらこそ、ありがとうございます> これで英国のパブにいっても、ジャパンといえば、「南アフリカを倒した国」ということになる。筆者も英国のパブで何度、祝福のビールを見知らぬ外国人からごちそうになったことか。こんかいのジャパンは日本ラグビー界に誇りを取り戻してくれたのである。 キンちゃんは、福島・清陵情報高では野球部に所属していた。楕円(だえん)球に親しむようになったのは、日大工学部の弱小ラグビー部に入ってからだった。ひょんなことから東芝に入社することになり、厳しい練習に耐え抜いて、2004年に代表入りした。 07年のW杯英仏大会、11年W杯ニュージーランド大会に出場した。東日本大震災で被害を受けた福島県郡山市出身。前回大会では、被災者に勝利を届けて勇気づけたかったのに1勝もできなかった。キンちゃんは最後のカナダ戦の夜、ニュージーランドはネイピアのパブでビールをあおっていた。 でも今回、南アを倒し、サモアにも快勝した。37歳150日での出場は、村田亙さん(現専大監督)が持つ日本代表の最年長出場記録を5日更新するものだった。 ふだんは温厚でも、キンちゃんは試合になると阿修羅のごとく暴れ回る。肉離れしても、足を懸命に動かした。足をひきずりながら、タックルした。倒れても、倒れても、立ち上がって相手に向かっていった。 けがのため、最後の米国戦には出場できなかった。でも積み上げたキャップ(国代表戦出場)数は日本人FW最多の「96」となった。もうレジェンドである。 キンちゃんは「日本中がラグビーファンで盛り上がっている。これまで自分が見たくても見られなかった光景が広がっている」とうれしそうに話した。 次のW杯は2019年日本大会。目指しますか? 41歳で。 「現役でいる限り、桜のジャージー(日本代表)を目指す。これからの4年間も、外ではなく中(グラウンド)で過ごしたい」 好きな言葉が「灰になっても、まだ走る」。キンちゃんは、まだまだ走るのである。 (プレジデント@スポーツインテリジェンス)