「超主観的スポーツ・ライティング論」

Text 小崎 仁久 / Kosaki Yoshihisa

 スポーツ・ライティングというものに出会ったのは、まだ少年の時だった。当時、マイク・タイソンがアメリカのリングに彗星の如く現れ、途方もない勢いで、チャンピオンと名のつくあらゆる称号を強奪していった。相手に指一本、いや拳一個触れさせず1R30秒KOなんて、出来の悪い漫画のようなファイトに、僕と友人は興奮しながら毎週テレビの前に座っていた。

 それからボクシングにのめり込むと(観るだけだが)、深夜にモハメド・アリの往年の試合を放送していることに気がついた。「ザ・グレイテスト」の蝶のステップと蜂の右ストレートにしびれたが、もっと心に響いたのは解説者を名乗る男性の話だった。

 その男性は「時代そのもの」という希代のボクサーと、自分の人生を重ね合わせ、コンビネーションパンチに熱のこもった言葉をつけていった。と同時にベトナム戦争、マイノリティー、アメリカの歴史を滔々と語っていた(当時はよく分からなかったが)。アリがベルトを失ったラスベガスの夜を、リングサイドにいたというその男性はこう表現した。「珍しく寒い夜だった。冷たい風が吹く外へ出てみると、夢を見る時代は終わったのだと感じた」

 単なるスポーツだと思っていたボクシングを、そんな捉え方をするのだと驚いた。その男性が佐瀬稔という名で、佐瀬さんの職業がスポーツ・ライティングだと知った。

 それ以来、スポーツライターを目指し…と言いたいところだが、残念ながらそうでもない。しかしその原体験(?)は心に残っている。サッカーやバレーボール、様々な現場から原稿を送るたびに、僕がスポーツ・ライティングに触れ、しびれた万分の一でも伝わっているかと自問している。

 諸先輩の薫陶を受け、場数を踏み、多少なりとも物を書けるようになると、伝えるには必要なものがあることが分かった。スポーツを感情的に捉えるだけでは全く十分ではない。なぜそのプレーが起こったかを洞察するには、スポーツだけでなく、心理、科学、身体力学を知らなければならない。スポーツは市民の生活から切り離されているわけではないので、社会背景や文化の知識も問われることになる。

 ましてや、今ここに存在するスポーツに偶然性はなく必然だけである。つまり競技の歴史とそれを育んだ国の歴史は、スポーツを描く上で無視することはできない。これだけでも頭はクラクラするが、その上で文学的な表現力がなければ、理知的で感情的にスポーツを伝えることはできないだろう。

 ただ、そのエネルギーを費やすだけの価値があるのがスポーツだと思っている。ジェンダーやパラスポーツだけを取ってみても、人類社会の一歩先をスポーツは行っているし、平和や心の豊かさで人の幸福に影響を与えている。少なくとも僕の人生に変化を加えたのが、スポーツであることも間違いない。

 文章を書く行為は、自分自身を切り取る行為でもある。どれだけ自分の中に知識や経験をため込めるか、そしてスポーツにどう対峙するか勝負である。佐瀬さんは、黄金期を過ぎてもリングに上がり続けるアリに対し「人間は幾つになっても攻めなくては生きていけない」と言っていた。そう、スポーツライターも攻めなくてはいけないのだ。

小崎 仁久(こさき よしひさ) / Kosaki Yoshihisa

スポーツライター。名古屋大学大学院工学研究科修了。サッカー、バレーボールを中心に取材しながら、スポーツ文化、スポーツアカデミズム、スポーツビジネスに取り組む。「スポルティーバ」(集英社)、「サッカーダイジェスト」(日本スポーツ企画)、「AERA dot.」(朝日新聞出版)、「ビーチバレーボールスタイル」などで主に執筆。「Green Jacket」(InterFM897)、「ニューズ・オプエド」(ノーボーダー・ニューズ・トウキョウ)のコメンテーター、雑誌編集、コーディネーターも務める。