コロナ禍でのスペイン。サッカーと生活

Text 岡野誠子 / Seiko Okano

 Jリーグではすでに観客がスタンドの何割かを占めている映像が見られた。ここスペインでは、いまだ無観客の試合が続いている。友人からの連絡で、日本でもメディア取材に規制が掛かっているようだが、比較のためにスペインの現状をお伝えしよう。

 今回のパンデミックを振り返ってみると、今年1月31日に初めてコロナ感染者がスペインで報告された。この患者はドイツ人観光客で、症状は軽いものと伝えられた。この時点ではその区域を隔離すれば問題ないだろうと思われた。発生地、武漢の映像は別世界のもので、スペイン人は全く実感していなかった。

 

 サッカー界ではバレンシアのエセキエル・ガライに陽性が判明されたのが初めての例。2月20日にイタリアのミラノで行われたチャンピオンズリーグ戦から帰ってきたチームの数人と遠征した新聞記者が同状況で感染していた。

 それからは早かった。あっという間にスペイン全土が汚染された。マドリードやバルセロナなどの大都市に入ると、1日の感染者は100人を超え、3月25日には第一波最高の1日9000人が陽性と判定された。日本と違って怖いのは、この時期の陽性者=発病者というところだ。通常は発熱などの症状が出ると検査後も自宅隔離で、呼吸困難になると病院へ緊急搬送となる。だから病院には重症患者ばかりで、そこから医療崩壊が起こった。

 

 3月15日0時に警戒事態宣言と共に外出禁止令が出された。その日は日曜ということもあり、ほとんどの店が扉を閉めていた。それと同時に道から車と人の姿が消えた。禁止事項と罰則がはっきりしないため、その不安がウィルスよりも人々を恐れさせた。

 日本と違って、この条例には一般人への罰金刑も処された。家から出て良いのは食料品や薬の買い物とペットの散歩。医療関係者、社会生活に必要な職種、生活必需品の販売やデリバリーなどの仕事以外は労働での移動も許されなかった。通勤には病院や店舗責任者の許可書が必要だった。勿論学校はその前から休校になっていた。

 奇しくも同日、初めて私の知り合いに陽性患者が出た。

 英国人の彼はBBCの在マドリード駐在員。本人曰く、中年小太り糖尿病予備軍で、10日前にはバレンシアで取材していた。

 3月25日、二人目の陽性患者が知らされた。彼も仕事仲間のメキシコ人だが、若いだけあって自宅療養で済んだそうだ。

 4月2日、アトレティコ・マドリーの広報職員の入院と回復の知らせが来た。一報を受けて彼にメッセージを送ると、すぐに感謝の返事が来た。一時はICUで呼吸器を着けられていたそうだが、その時点ではかなり回復していたのだろう。ただし、完全回復まで50日間かかったそうだ。

 アトレティコでは5月に入って何人か陽性者が出たが、それよりも多い人数に抗体が見られた。おそらく職員は無症状の選手から移されたのだろう。

 

 この時期を振り返ると、本当に外へ出るのが怖かった。1日の死者数がスペイン全土で900人を超える日もあった。車の通りは少なくなったが、救急車のサイレンが鳴らない日はなかった。救急病院の看護師である隣人から病院の惨状を聞くと、高齢者枠に引っかかる家人と私は感染して入院したら危ないと思っていた。

 

 3月11日のCL戦、リバプールでアトレティコ・マドリーがベスト8への勝ち抜けを決めた。その翌日、ヨーロッパリーグ対インテル・ミランを予定していたヘタフェは、「選手の健康を守るためならば敗退も厭わない」と会長がミラノ遠征を拒否した。これを受けて、UEFAはインテル対ヘタフェ、セビージャ対ローマの延期を決めた。

 一方スペイン・リガは、3月14、15日の第28節以降の無期延期を文化省スポーツ局と厚生省から言い渡された。それから3か月間サッカー戦無しの生活に入った。

 

 3月15日からの警戒事態の期間は2週間とされたが、毎回延長が決定された。第一波の波が収まってき始めた5月3日、初めて1日1時間の散歩の許可が出た。日頃は運動することのない人々がマスク姿でジョギングに精を出していた。5月18日から段階を置いて州別に緩和の方向が決まった。そして緩和の中にはプロスポーツ選手の野外トレーニングも含まれ、措置を取られた練習場に選手たちが戻ってきた。

 

 マスク着用義務は残ってもスペインに日常生活が帰ってきた。ラ・リガ(プロサッカー協会)ではリガ再開に向けて日程調整が行われた。中2日、5人交代制などが保健プロトコルと共に設定された。そして6月11日、セビージャ対レアル・ベティスのダービーからリガが再開された。

 最初に記したようにすべて無観客試合。最初は209人だけが球場に入れることになった。両チームの選手、コーチ陣、スタッフ、フロント(ホームは4人、アウエーは2人)、ラ・リガ関係者、TVクルー、警官、ガードマン、清掃員、救急隊員、etc。しかしその中にフォトグラファーもライターもなかった。これに対してメディアが声を上げ、調整の末にライター6人、フォトグラファー14人だけに許可が出されることになった。また、ラジオレポーターも別枠で許可を受けた。

 

 この再開戦の一つが乾選手のエイバルとレアル・マドリーとの対戦だった。マドリーはサンティアゴ・ベルナベウ球場のリフォーム工事再開から、無観客を利用してオフシーズンに予定していた大規模工事を続行した。そのため、再開以後の試合は2軍のホーム、アルフレッド・ディ・ステファノ球場で開催された。後に、収容人数6000席のディ・ステファノ球場ではスペイン代表戦が2戦行われることになった。

 さて、そのエイバル戦の取材許可についてマドリーの広報に尋ねたところ、最低数のアクレジは地元メディア優先で、外国メディアへの枠はないと断られた。一方、エイバルの広報には遠征中の接触は不可能と言われた。

 リガでのプロトコルをJリーグや他国リーグのやり方と比べてもらいたい。

 ホーム戦の場合、ロッカールームが使用禁止のため、練習場の宿泊施設かホテルに入り、ユニホームに着替えた状態で試合開始1時間前に球場入りする。アウエーは当然ながら遠征先のホテルでユニホームに着替え、試合終了後もホテルに戻って着替える。そして空港では飛行機の足元にバスを付け、球場まで部外者と接触できない形をとっていた。

 選手やコーチ、スタッフは毎試合前48時間にPCR検査を受け、毎回ラ・リガへの報告が義務付けられている。

 

 9月12日から始まった今季、リガとコパ戦はラ・リガが取材許可をまとめて出すことになった(レアル・マドリー、バルセロナ、ヘタフェ以外)。これは今回のパンデミックのせいではなく、18-19年シーズンからフォトグラファー、19-20年からリガ2部のライター分もラ・リガが管理していた。そして今季からは1部も統制されることになった。ラ・リガからフリーランス排除の方針が出されたためと言われている。発信媒体ごとの登録で、提出を求められた多くの書類の中には多額の賠償保険加入証明まであり、それは義務付けられたものだった。

 今季第1節、エイバルでのエイバル対セルタ戦の許可が出され、私にとっては半年ぶりの球場での試合になった。テレビクルーは2時間前、ラジオは1時間半前、フォトは1時間前、ライターは30分前に入場と事前にクラブから通知があり、ラ・リガからのプロトコルで検温、消毒、マスク着用も必須。試合後は10分以内に球場から出ることも強制された。選手やコーチの掛け声だけでなく、ボールを蹴る音が空っぽのスタンドに響く。これまで何度か無観客戦は経験あるが、まばらな記者席が異常性を感じさせた。それでも目の前で繰り広げるサッカーが嬉しかった。

 

 マドリードは10月10日に再び警戒事態に入った。他州への移動の制限が掛かり、出張へは会社の出してくれた雇用者移動許可書の携帯が義務とされた。

 そして10月25日から全国に拡大された警戒事態宣言が発令された。政府は5月9日迄これを延長したい意向だ。

 10月26日現在、スペイン全国で累計感染者109万8320人、死者3万5031人。

 過去1週間の新規感染者が全国約22万人、同死者628人。

 

 スペインは 社会も経済も疲弊している。それでも10月25日の朝刊はクラシコの結果が表紙だったし、人々の話題は試合での判定だった。全仏でのラファ・ナダル優勝のように、この国の人々にはスポーツが暗い日々を忘れさせてくれる。

岡野誠子(おかの せいこ)/ Seiko Okano

在スペイン40年。サッカー誌を経て、現在スポーツ新聞のマドリード駐在員として活動中