サッカーとメディアの近未来?

Text 大住良之 / Yoshiyuki Osumi

 9月6日にAIPSの公式サイトが伝えた南米サッカー連盟(CONMEBOL)の試合再開指針は驚くべきものだった。リベルタドーレス杯などクラブチームの大会において、スタジアムで取材できるメディアは、放映権をもったテレビ局だけというのだ。

 スタジアムに入れるのが250人。うち110人は両チームの選手やスタッフで、残り140人を連盟役員、レフェリー、医事、ドーピングコントロール、セキュリティーなどの要員にあてると、メディアには枠がほとんど残されていなかったのだ。

 その後、10月に始まったワールドカップ予選でも「運用はそれぞれのホームの協会に任せる」としながらも、原則としてはクラブ大会と同様の措置が取られた。

 2月下旬にストップし、6月下旬にようやく試合が再会されたJリーグでは、放映権をもったテレビのスタッフなどを除くと、「取材記者25人、カメラマン16人」という厳しい規制がついた。しかもメディアのカテゴリーを分けての優先順位がつけられたため、フリーランスにはほとんど取材の機会が与えられない状況がしばらくあった。後にこの規制は緩和され、しかも取材者が集中する首都圏で同日に複数試合が行われる場合にはフリーランスにも取材枠が回ってくるようになったが、4カ月間も「仕事なし」状態だったフリーランスにとって非常に厳しい状況だった。

 それでも、JリーグはCONMEBOLのような方針はとらなかった。ドイツのブンデスリーガが再開したときには、「取材は10人まで」という厳しい制限がつけられたというが、スタジアム施設によって違いはあるものの、Jリーグはメディアとの従来の関係を維持すべく努力してくれたと思う。世界でも、CONMEBOLのような措置をとった例は他に見当たらない。

 だが私には、CONMEBOLの措置はサッカーとメディアの「近未来」を予言するように思えてならない。

 現代のサッカーは、巨額のテレビマネーで成り立っている。入場料やグッズ売り上げなどファン頼りの収入は全体の収入に対する割合が減少する一方で、スポンサー収入も横ばいの状態にあり、放映権収入だけが伸び続けている。総収入に対する放映権収入の割合は、ビッグリーグの下位になればなるほど大きくなり、収入の70%(!)を超えるクラブもある。

 そしてこうした巨額の放映権契約を享受できないリーグ(Jリーグもそのひとつだ)のクラブは、総収入が欧州トップリーグの10分の1程度というなか、懸命に努力はしていても、「違うスポーツ」などと言われたりする。

 Jリーグはなんとか観客数を元に戻そうと努力しているが、欧州では平気で無観客や少数観客で試合を続け、しかも相変わらず100億円を超える移籍金が飛び交っている。テレビがついているからだ。テレビとの契約を満たす試合数さえ開催すれば、たとえ観客はゼロでも経営が成り立ってしまうのが現代のサッカーなのである。

 ならば、観客は、試合の「賑やかし」あるいは「雰囲気づくり」のためのものでしかなく、報道は放映権をもったテレビ局に任せればいいという「極論」にたどり着くのは、単なる空想ではない。新聞や雑誌がサッカーを扱いたいなら、テレビ中継を見て記事を書いて下さい、写真も提供しますよ、試合後に監督や選手に話を聞きたいならZoomでやりましょうというわけだ。CONMEBOLこそ「近未来像」で、時代の「先駆者」になってしまう恐れは十分あるのだ。

 そんなことにならないようにするためには、何よりもまず、マスメディアという仕事にかかわるすべての者が、自分の仕事がサッカーの普及や発展にどのような役割を担い、意義をもっているのか、しっかりとした「思想」をもたなければならない。そのうえで、堂々と取材する権利を主張する必要があると、私は考えている。

大住良之(おおすみ よしゆき)/ Yoshiyuki Osumi

フリーランスのサッカージャーナリスト。「サッカー・マガジン」編集部を経て、1988年からフリーランス。1999年よりAJPS会員。