Text 田邊雅之 / Masayuki Tanabe
新型コロナウイルス禍に喘ぎながら、日本のスポーツ界は未来に向けて歩み始めようとしている。現に今秋はサッカーのW杯がカタールで開催されるし、来年はラグビーW杯がフランスで行われる予定だ。これに伴い、再びメディアで脚光を浴びつつあるのが海外発の戦術理論やトレーニング理論だ。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という諺があるように、海外の理論を学ぶこと自体は悪くない。そもそも日本はキャッチアッパー(後発国)であり、産業であれスポーツであれ、欧米の最新モデルを導入することで世界に追いつき、追い越そうと試みてきた。
目指すべきモデルを設定して、自分たちのものにしようとする意識が強いのは、心情的にも理解できる。日本では、そのような手順を踏むのが、物事を習得する際の定石だと考えられてきた。体系的なアプローチが通用しない分野が存在するとなれば、自分たちが拠って立つ前提が揺らいでしまう。様々なノウハウをマニュアル化し、反復練習のような作業を通じて習熟していくのは、生真面目な日本人の気質にもあっている。
しかし、海外で誕生した最先端の理論に精通していることは、必ずしも十全ではない。たしかに斬新な方法論を用いれば、日本国内ではアドバンテージを確保できるだろう。いわゆる「事情通」として、周囲から持てはやされる効果も期待できる。
だが世界と戦う際には、この種のアプローチが仇になるケースも多い。理由は簡単。相手を知るのは「いろはのい」であっても、表面的に方法論を踏襲するのは後追いに過ぎない。相手の土俵にわざわざ乗ることを意味するからだ。
かくして生まれてくるのが、「日本独自のモデルを確立すべきだ」という立場である。とはいえ、この発想にも欠陥は多い。
たとえばサッカーに関して言うなら、W杯ブラジル大会に向けて「自分たちのサッカー」論が説かれ、代表チームが惨憺たる結果に終わったのは今も記憶に新しい。似たような状況は、かつてのラグビー界にも存在した。関係者の間では、日本人選手が持っていると細かなボールさばきの技術や組織的なプレーが、世界と戦う武器になるとされていた。
だが1995年のイングランド大会では、ニュージーランド代表に17対145で歴史的大敗を喫してしまう。日本型モデルのアドバンテージなる幻想は、圧倒的な体格や運動能力によって完膚なきまでに叩きのめされた。
この反省に立ったのが、2012年に日本代表のヘッドコーチに就任したエディー・ジョーンズだった。エディー・ジョーンズは、徹底的に選手のフィジカルとメンタルを強化。さらに日本代表GMだった岩渕健輔(現:日本ラグビーフットボール協会専務理事)と共に、代表の強化に特化したかつてない体制を作り上げている。
ただしエディー・ジョーンズや岩渕が目指したのは、単にフィジカルで対抗できる集団を育て上げることではない。むろんチームの強化に当たっては、外国出身の選手も大きな役割を果たしている。しかし彼らが本質的に追求したのは、物理的に圧倒されるリスクを極小化した上で、日本代表に名を連ねる選手たちの特性を活かす方策だった。
日本人は爆発的なスプリントはないが、持久力には優れている。また、柔軟に戦況を判断するのは不得手でも、決まったパターン(シェイプ)を叩き込み、選択肢を限定する形であれば、オートマティズムに近い形で判断を下せる。エディー・ジョーンズや岩渕は、配下の選手たちが備えた長所と短所をここまで冷徹に見極めて、世界と戦う術を模索している。
新生日本代表は、対戦相手の研究とゲームプランの策定にも膨大な時間を費やした。その内容は、戦術や能力分析に留まらない。選手個々の気質やバックグラウンド、この局面ではこういうプレーを選択するケースが多いという傾向分析、さらには試合を担当するレフェリーの「癖」、会場の詳細なコンディション把握にまで及んだ。2015年のイングランド大会における「ブライトンの奇跡(南ア戦での勝利)」は、従来の常識を覆そうとする発想、そして緻密な準備が積み重ねられた末に、もたらされたのである。
自らの殻を破ることで成果を手にした好例は、ラグビーの日本代表以外にも存在する。
2018年、W杯ロシア大会に臨んだサッカー日本代表は、「自分たちのサッカー」という議論を封印して、グループリーグ突破を果たした。
昨夏の東京五輪で活躍した、バスケットボール女子代表もしかり。圧倒的な体格差を克服して銀メダルを獲得できたのは、新たな指針を得たからに他ならない。彼女たちは「スモールボール」と呼ばれる新世代の戦術を、日本の実情に応じて再定義する形にもなった。
似たようなことは、個人種目の柔道についても指摘できる。男子柔道が、金メダルゼロ(ロンドン五輪)の状況から再建に成功したのは、代表合宿の在り方そのものの見直し、合理的なトレーニング方法の導入、周到なスカウティングの実施など、多岐にわたる改革を断行したからだった。言葉を換えるなら、日本柔道界は「自分たちの柔道を貫く」発想に拘泥せず、「自分たちの特長を活かして勝つ」ことを優先し、見事にお家芸を復活させたのである。
「敵を知る」とは、最新の戦術論やトレーニング方法を安易に模倣する作業ではない。真に求められるのは、敵が駆使する理論を完全に消化した上で、自分たちの可能性と限界も見極め、攻略法を見出していく試みだ。その際には、マネージメントやマネタイズのモデルまで含めた「強化」と「合理化」も不可欠になる。
コロナ禍が収束すれば、様々な競技において「世界との戦い」が再びクローズアップされていくだろう。日の丸を背負ったチームやアスリートたちが結果を出せるか否かは、報道に携わる我々メディアが、「敵を正しく知り、己をさらに知る」プロセスの有用性を、言語化できるかどうかにも大きくかかっている。
田邊雅之(たなべ まさゆき)/ Masayuki Tanabe
新潟県生まれ。ノンフィクションライター。大学院時代から様々な雑誌や書籍、広告媒体でライター、翻訳家、編集者として活動。2000年から10年間『Number』編集部でプレミアリーグ担当デスクを務める。現在は再びフリーランスとして活動。主な著書に『ファーガソンの薫陶』(幻冬舎)『新GK論』(カンゼン) 『中卒の組立工 NYの億万長者になる。』(角川書店、取材・構成)『すべてはスリーコードから始まった』(サンクチュアリ出版、同)翻訳書に『プレミアリーグ サッカー戦術進化論』(二見書房)『ウルトラス世界最凶のゴール裏ジャーニー』(カンゼン)など多数。