「AJPSアワード2024」の受賞者に、プロ野球「千葉ロッテマリーンズ」で33年もの間「場内(スタジアム)アナウンス」を務め上げた谷保恵美さん(57)が選出されました。この賞は、スポーツ界において選手、その競技を支えながら、日頃は表に出る機会のない「Unsung Hero」(縁の下の力持ち)を称えるものです。
谷保さんは、ロッテが千葉に移転する以前の「ロッテオリオンズ」に1990年に入社し、翌91年、念願だった場内アナウンスを初めて担当。ロッテが千葉に移転してからは、マリンスタジアムの強風に負けないよう、大きくはっきりと「サブロ~~~」と語尾を伸ばすオリジナリティあふれるアナウンスを生み、選手とチームを常に「声」で励まし続けました。2022年7月には、一軍公式戦アナウンス2000試合の偉業を達成しています。
驚かされるのは試合数と同時に、引退する23年10月までの通算2100試合で一度も体調不良やアクシデントによる欠席がなかったことです。自宅でも喉を守るため首にマフラーを巻くケアを怠らず、飲食にも注意を払って体調を管理し淡々と試合に臨まれた姿は、選手や競技を支える「縁の下」にいるからこそ、アスリートと同じ努力と節制が必要なのだ、と取材者に改めて教えてくれるものでした。
2024年のプロ野球は3月29日にセ・パ両リーグともスタートを切りました。過去33年経験してきた「開幕」とは全く違う立場で、マリンスタジアムで行われた日本ハム戦をテレビで、或いはスタジアムでゆっくり観戦できたのだろうか聞いてみると、意外な答えが返ってきました。
開幕が近づくにつれ、天気はどうだろうか、満員になればいいな、などといつもの準備が谷保さんの頭をよぎっていたからでしょうか。24年の開幕戦直前「スポンサー企業や関係者から届けられる花を間違いなく並べられているのか、夢の中でもマリンスタジアムを走りながら広報として確認していたんです」と笑います。
昨年の退社時、仕事を辞めたらマリンスタジアムでユニホームや応援グッズを持って試合観戦するのが夢だと話していたはずが、実際に見た夢は、33年もの場内アナウンスや広報の仕事で身体中に刻まれてきた景色と、ファンに立場を変えて観るスタンドからの景色にはまだ距離があると暗示していたのかもしれません。「ですからスタジアム観戦はもうちょっと気持ちが落ち着いてから、と思っています」 。そう話します。
短大を卒業する頃、憧れていた場内アナウンスの仕事に就きたいと熱望しても、そのためのルートもコネクションも持っていませんでした。「そこで12球団全てに片っ端から電話をかけましたが断られ、自分を売り込む手紙を送っても返事は一切もらえず、それでもめげませんでした。私はかなりしつこい性格なんです」と笑って振り返ります。2年以上、電話や手紙で自分の夢を各球団に伝え続けました。特にスポーツ界では、女性にはチャンスがなかった厳しい時代でもあり、壁はとてつもなく高かったはずです。
初めて取材で聞いた谷保さんの声は、スタジアムで華やかに響くそれとは違いとても小さく静かなトーンでした。その分、試合に向けた大きなエネルギーを内に秘めているようでした。そして、これだけ長く続けるにはもう一つ、選手、チームとの絶妙な距離感が重要だったのではないかと想像しました。
例えるなら、定位置だった放送席からネクストバッターズサークルの距離かもしれません。とても近く見えるけれど接触はできない。プロフェッショナルとして導いたその距離を保ってアナウンスに集中した気構えが、フィールドで活躍するヒーローたちをこれだけ長く支えられた矜持だったのだと思います。
「今後はプロ野球でなくても、野球選手を声で応援出来たら。今は好きなコーヒーを楽しむ教室や推し活と時間を楽しみながらこれからを考えたいと思っています」
マリンスタジアムのどこかで、ユニホームを着て声援を送る谷保さんの姿を遠くから拝見できる日が来ると願っています。
取材協力/ベースボール・マガジン社
AJPSアワード2024選考委員会:増島みどり、北川直樹、高樹ミナ
取材・文/増島みどり
写真/北川直樹
編集/高樹ミナ