2020東京オリンピック・パラリンピック招致が成功した要因は、安部首相の「福島原発汚染はブロックされている」でも、「お・も・て・な・し」発言でみなかった。
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「プレミアを去るアイコン、ジェラード。彼がトロフィーの代わりに手にした称号」 Text 田邊雅之 / TANABE MASAYUKI
「最後の最後まで、こんなシナリオが待っているんだな」
スティーブン・ジェラードのプレミアにおける最後の舞台。アウェーでのストーク戦を見ながら、ぼんやりそんな感想を抱いた。リバプールはなんと1−6で敗北。
「競輪選手はプロスポーツの中で最も過酷なアスリート」 Photo 鈴木義和
競輪選手にはオフというものがない。 正月から年末の競輪グランプリまで一年を通して全国どこかで必ずレースがある。 グランプリレースのような特別なレースは僅か5分程で1億円を手にする選手もいるが、G?であろうがF?と言われる普通開催のレースも全ての選手は命を掛けてそのレースに臨む。
「NECを優勝に導いた2人のセッター、秋山美幸と山口かなめが歩んだ苦悩の日々」 Text 田中夕子 / TANAKA YUKO
優勝を決めるポイントは、19歳のルーキー、柳田光綺に決めさせたい。2?1とリードして迎えた第4セットのマッチポイント、NECレッドロケッツのキャプテン、秋山美幸はライトの柳田にトスを上げたが、久光製薬スプリングスのブロックにタッチを取られ、1本では決まらない。
「偉大なアーティストが生み出した最高傑作」 Text 中山淳 / NAKAYAMA ATSUSHI
日韓共催で行われた2002年ワールドカップ開幕を2週間後に控えた5月15 日、スコットランドのグラスゴウで、世にも美しい芸術作品を見たことがある。今なお脳裏の片隅で鮮明に残っているそれは、紛れもなく一生ものの作品だった。
「刻まれた新たな歴史――セパタクローに懸ける男たちの物語」 Text 岩本勝暁 / IWAMOTO KATSUAKI
約束の時間は20分ほど過ぎていた。
北千住の裏通り。パチンコ屋の2階にあるレトロな喫茶店には、夕飯の買い物を終えた主婦の笑い声が響いていた。薄暗い照明と深紅の絨毯。だだっ広い空間を生かした贅沢な間取りが、昭和のたたずまいを感じさせる。
「ACL取材はやめられない」 Photo 徳丸篤史
中学、高校、大学と日立台のゴール裏で声出していたサポーター時代。 このまま柏レイソルの近くにいたい。なんとかサッカーを仕事に出来ないものか…なんて事を思い描いていたら、他のものに浮気しなかった甲斐あって、いつのまにか誰よりも選手に近い“ピッチサイド”という特別な場所で写真を撮るようになっていた。
「バンクーバーに日が昇った! アイススレッジホッケーの銀メダル」 Text 宮崎恵理 / MIYAZAKI ERI
言うまでもないが、アイスホッケーは、カナダの国民的スポーツだ。2010年に行なわれたバンクーバーオリンピックのアイスホッケーでは、男女ともにホームのカナダが優勝。
「日本代表に『日本らしさ』を見た」 Text 飯塚健司/ IIZUKA KENJI
日本代表は、文字どおり日本代表である。ザッケローニ監督に率いられてブラジルW杯に挑んだ日本代表は、日本サッカー界を代表して戦った。
「私のベスト五輪――ミュンヘン1972年夏季五輪」 Text 畠山喜代子 / HATAKEYAMA KIYOKO
日本人はオリンピックが好き、私もその一人である。お友達から「お兄ちゃんが選手で出場するので一緒に応援にきて」といわれて戸田ボート場へでかけ、1964年五輪東京大会で初めてオリンピックなるものを観戦した。