Text 増島みどり / Midori Masujima
夢の舞台に立てたからといって万事うまく行くとは限らない。もしかすると、アクシデントやハプニングに見舞われる選手のほうが多いのかもしれない。単一競技の世界選手権としてはもっとも多い200を超える国・地域から、2000人もの選手がひとつのスタジアムに集まるのだから。
1991年以来34年ぶりに東京で開催されている世界選手権3日目、女子3000メートル障害でケニア出身のデイジー・ジェプケメイ(現在はカザフスタン国籍)が後方の選手にかかとを踏まれて右足のスパイクを失くしたのを観ながら、予選突破が可能な選手の不運を気の毒に思った。
しかしアジアチャンピオンにもなったデイジーはレースを止めなかった。言い訳もしない。裸足のままハードルを越え、深さが70センチもある水郷に飛び込む。27位でゴールした彼女をミックスゾーンで追いかけた。足裏の中指の付け根がめくれて応急処置を受けたのに、「ハーイ!」と笑って立ち止まった。
「仕方ないわ。この種目に接触は付きもの。止めなかった理由? 私はカザフスタン国民の代表だから、やり切らなければここに来た意味がないもの」
輝く笑顔を見送った時、これまで世界陸上で取材してきた大好きな女性アスリートたちの顔が浮かんだ。
91年の女子1500メートルでアルジェリア初の金メダルを手にしたハシバ・ブールメルカは、「女性解放」を嫌う保守派に自宅を放火され欧州に脱出せざるを得なかった。東京大会中にも脅迫を受けたがレースを棄権せず金メダルを獲得。「この金メダルをアラブの女性全てに捧げます。私たちはそれぞれの舞台で闘えるのです」と胸を張った。自分には想像もできなかった政治的、宗教的な困難を走ることのみで打破した姿は今も忘れられない。
東京世界陸上で銀メダルを獲得した800メートルのアナ・キロット(キューバ)も強い女性だった。93年に自宅でガス爆発に遭い、生死にかかわる大やけどを治療するなかお腹にいた娘を失ってしまう。大やけどと娘の死にも彼女は立ち上がる。厳しいリハビリを経て競技に復帰すると、95年のイエーテボリ世界陸上で金メダルを獲得するなど世界の舞台で走り続けた。
世界陸上を取材し、記録や結果以上に彼女たちがどんな困難にも顔をあげ最善を尽くす姿に圧倒され、励まされ、憧れを抱いてきた。

SONY α1 Ⅱ, FE 400mm F2.8 GM OSS, 400mm, 1/800秒, F6.3, ISO2500
難しい時代を切り開き、偏見や差別と闘う世界中の女性たちを励まし続けた女性アスリートの2人、13年のモスクワ世界陸上で女子史上初の3冠(100、200、4×100メートルリレー)を果たしたジャマイカのシェリーアン・フレーザープライス(38)と、女子400メートルハードルを驚異的な世界記録で牽引してきたアメリカのダリラ・ムハマンド(35)はともに「東京が最後のメインイベント」と明言して今大会に臨んだ。
大会2日目、フレーザープライスが100メートル決勝を6位で終えると、国立競技場はスタンディングオベーションに沸いた。ジャマイカの大応援団が「こっちへ来て!」と最後の「ウイニングラン」を求めて国旗を手渡そうと名前を呼んだが、彼女は行かなかった。取材ゾーンに入るところで一度振り返ってスタンドに手を振り、笑顔で「応援ありがとう」と両手で胸を押さえた。
メダルを獲得した若い3人への気遣いと誇りがにじんだ目の前のフレーザープライスと、これまで世界陸上で取材してきた憧れの女性たちへ、もう一度拍手を送った。
撮影:北川外志廣
増島みどり(ますじま みどり)/スポーツライター
法政大学客員講師、スポーツ・コンプライアンス教育振興機構副代表理事。神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大学政治経済学部卒業後、日刊スポーツ新聞社入社。運動部記者としてオリンピック、サッカー、プロ野球など数多くの取材を担当した。1997年フリーのスポーツライターとして活動を開始。98年サッカーW杯フランス大会日本代表39人のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞を受賞。著書多数。女子サッカー日本代表チームの愛称「なでしこジャパン」の審査委員としてもかかわった。
