Text 矢内由美子 / Yumiko Yanai
トリビューンの最上階にある記者席に着いたその瞬間、目の前に広がる光景に胸が熱くなった。国立競技場で開催された東京2025世界陸上。大会初日のイブニングセッションは5万6819人の大観衆でスタンドのほとんどが埋まっていた。
無観客の国立競技場で、選手と運営とボランティアが粛々と全力をぶつけていた東京五輪の忘れ物をやっと取りに来られたような気持ちになった。8万人収容のスタッド・ド・フランスを毎晩満員にしていたパリ五輪へのちっぽけな嫉妬心は飛んで行った。
東京2025世界陸上に集った観客は誰もが高揚感を漂わせていた。男子100メートルは大会初日にあった予選で6人が9秒台で走り、大会2日目の準決勝では決勝進出を決めた8人全員が9秒台だった。新チャンピオンになった24歳のオブリク・セビル(ジャマイカ)が決勝(追い風0.3m)でマークした9秒77は世界歴代10位タイという好記録。解説不要のスピード感に誰もが酔いしれた。
大会3日目には男子棒高跳びのアルマント・デュプランティス(スウェーデン)が6m30の世界記録を樹立して金メダルに輝いた。驚異的なあの高さを生で見て胸が躍らぬわけがない。
日本勢の活躍にも心を揺さぶられた。大会初日の男子35km競歩で勝木隼人(自衛隊体育学校)が銅メダルを獲得して“お家芸”の意地を見せ、大会8日の女子20キロ競歩では藤井菜々子(エディオン)が女子競歩初の表彰台となる銅メダルに輝いた。
個人のトラック種目には大いに興奮させられた。男子3000メートル障害で8位入賞の三浦龍司(SUBARU)と男子110メートル障害で5位入賞の村竹ラシッド(JAL)は惜しくも表彰台に届かなかったが、そこへ肉薄している実力をはっきりと示した。男子400メートルで6位入賞を果たした中島佑気ジョセフ(富士通)もここからさらに成長していくだろう。

SONY α1 Ⅱ, FE 400mm F2.8 GM OSS,400mm, 1/2500秒, F2.8, ISO2500
そして、男子短距離2冠のノア・ライルズ(米国)である。100メートルと200メートルの予選、準決勝、決勝、4×100メートルリレーの決勝、合計7レースに出走し、最高峰のパフォーマンスを繰り返し見せてくれた。選手紹介時やゴール後に、日本が世界に誇る人気アニメ『ドラゴンボール』や『ワンピース』のポーズを披露してテンションを上げていく姿は見ていて本当に楽しく、大会が始まってからもチケットがどんどん売れていった要因のひとつになっていたと感じる。
終わってみれば9日間の総入場者数は61万9288人。カール・ルイス(米国)がいた1991年東京大会の58万1462人(10日間開催)、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が自身初の世界大会メダルを獲得した2007年大阪大会の35万9000人を上回った。
そんな中、最終日である9月21日は20時過ぎから激しい雨が国立競技場に降り注いだ。記者席からふと下を見ると、東京五輪の期間中にトラックに描かれていたオリンピックマークの跡が浮かんでいた。東京五輪の忘れ物を回収したという思いがあらためて沸き上がってくるフィナーレだった。

SONY α1 Ⅱ, FE 400mm F2.8 GM OSS, 400mm, 1/2000秒, F2.8, ISO1600
撮影:北川外志廣、高橋学
矢内由美子(やない ゆみこ)/スポーツライター
1966年、北海道生まれ。北海道大卒業後にスポーツニッポン新聞社に入社し、テニス、五輪、サッカーなどを担当。’06年に退社し、以後フリーランスとして活動。Jリーグ浦和レッズオフィシャルメディアスタッフ『REDS TOMORROW』編集長を務める。最新著書は『浦和レッズ、技術を教えないサッカー教室』(竹書房)。オリンピック11大会取材。サッカーワールドカップ6大会取材。
