「プレミアを去るアイコン、ジェラード。彼がトロフィーの代わりに手にした称号」 Text 田邊雅之 / TANABE MASAYUKI

 AJPS報道展「The BEST」ライター会員作品集

「最後の最後まで、こんなシナリオが待っているんだな」

スティーブン・ジェラードのプレミアにおける最後の舞台。アウェーでのストーク戦を見ながら、ぼんやりそんな感想を抱いた。リバプールはなんと1−6で敗北。後半25分にはジェラード自身が一矢報いたものの、レジェンドの花道を飾るどころの内容にはならなかった。それどこかチームは、前節に行なわれたアンフィールドでのシーズン最終戦でもクリスタルパレスに1−3で敗れていたため、トットナムにも抜かれて6位に後退。ブレンダン・ロジャース監督の身辺さえ、にわかに慌ただしくなっている。

だが、ある意味では「らしい」幕引きでもあった。ジェラードはどことなく薄幸いキャリアを歩んできた選手だったからだ。それはリバプールという港町に漂う、うら寂しい雰囲気にも似ている。

■「イングリッシュ・フットボール」を象徴する選手

「プレミアリーグ」。この単語を耳にした時、多くの人が思い浮かべるのは、世界最高峰のリーグとしての華やかなイメージだろう。

TV局との契約によってもたらされる、うなるほどの放映権収入。世界中からかき集められた綺羅星のごときスーパースター。美しい緑のピッチと90分間合唱を続ける情熱的なサポーター。プレミアは人の心を惹き付けずにはおかない魅力に溢れている。

これらの要素にも増して特徴的なのは、目まぐるしく攻守が入れ替わる、スピーディーでスリリングな試合展開だ。典型的なボックス・トゥ・ボックス型のMFで、火の出るようなミドルシュートを放つジェラードは、「イングリッシュ・フットボール」を象徴する選手だったと言っていい。

05−06シーズンのFAカップ決勝、ウェストハム戦におけるプレーなどは最たるものだ。ジェラードは1アシスト2ゴールの活躍を見せているが、敗色濃厚な試合終了直前に決めたロングレンジのダイレクトボレーシュートは、自身がベストゴールにも選んでいる。

同様に指摘できるのは、類いまれなるリーダーシップだ。ジェラードの愛称は「キャプテン・ファンタスティック」。クラブ史上、最高の主将だったと口を揃えるのは、現在クラブに所属しているメンバーばかりではない。

2005年5月、イスタンブールで行なわれたACミランとのCLファイナル。前半0−3でリードされながら、ヘディングシュートで反撃の狼煙を上げたのは、やはりジェラードだった。両手でスタンドを煽るような仕草をし、もっと自分たちに力をくれとサポーターを鼓舞したシーンは今も記憶に鮮やかだ。

■ジェラードが引きずっていた挫折感と人生の無情

とはいえ、ジェラードを華やかなイメージだけで捉えるのは適切さを欠く。

たしかに彼はプレミア屈指のスターであり、20世紀末から約10年間、世界の注目を集め続けた「黄金世代」の一人でもあった。

だが同時代を共に生きたデイビッド・ベッカムなどと比べれば、両者が放っていた輝きの本質的な違いが明らかになる。

たとえばベッカムが体現していたものが、サッカー界に訪れた我が世の春??ショービズ的なスポットライトの眩さだとするなら、ジェラードが引きずっていたのは一種の挫折感であり、夢が叶いそうで叶わぬ人生の無情だった。

そのような役回りを象徴するのが、プレミアの賜杯に最後まで手が届かなかったという残酷な事実だ。とりわけ昨シーズンなどは、天王山と目されたチェルシー戦で失態を演じ、優勝の可能性を自ら遠ざけてしまっている。ピッチに足を取られて相手に先制点を献上したのは、よりによって深紅に染まったアンフィールドだった。

むろん「黄金世代」の面々は、イングランド代表では一様に失望を味わっている。66年のW杯イングランド大会以来、サッカー界で最も価値あるトロフィーを母国に持ち帰ることはできなかったし、EURO2008では本大会のチケットさえ掴み損ねた。しかしジェラードの場合は国内のリーグ戦のタイトルとは無縁だっただけに、なおさら悲運な印象が強い。

それが故にこそ、ジェラードはベッカムよりも多くの人々からシンパシーを集めた。コラムニストのサイモン・クーパーが書いているように、ベッカムは世間からやっかまれて酷評された時期もあるが、ジェラードに関するネガティブな人物評が掲載されたケースはほとんどない。ヴィクトリア・ベッカム以上に美しい妻を娶り、自宅の敷地内に会員制のスポーツジムのごとき施設を建てるという、馬鹿げた金の使い方をしてもである。彼はメディアにとってもファンにとっても、親近感の持てる庶民派のヒーローであり続けた。

■意気込んで取材の現場に登場したジェラード

彼がかくも愛された理由としては、ストレートでフランクな物言いも挙げられる。残念ながら現代のサッカー選手は、メディアをあしらうための訓練もきっちり施されており、差し障りのない発言に終始することが多い。

だがジェラードは異なっていた。

実は私は2005年に、単独インタビューをする機会に恵まれたことがある。前シーズンにCLを制覇したばかり、しかも日本人ジャーナリストの本格的な取材を受けるのは初めてだという事情があったからだろう、ジェラードは相当に意気込んで取材の現場に登場。マイクを向け始めると。ジェラール・ウリエからラファエル・ベニテスに監督が変わったことで、いかにリバプールが進化したか力説し始めた。

ところが話が肝心なところに差し掛かると、突然、表情を曇らせ始めた。

――CL優勝に関しては、新たに監督に就任したラファエル・ベニテスの手腕も大きく注目されましたが、チームの土台を築いたのは前任のジェラール・ウリエ監督だったとも言われました。

「それは否定できないな。ウリエはいろんな選手と契約したりして、チーム作りにかなり貢献しているから。でもCL優勝に関して言うと、やっぱりラファが入ったことが大きいと思う」

――サッカーに対するアプローチなども違いましたか?

「そんなに大きな差はないよ。どちらもすごく優秀な監督だし。あくまでもトレーニングやプレーのアイディアが違っていたというだけであって 」

――トレーニングやプレーの仕方は、具体的にどう変わったのでしょう?

「いや、基本的に大きな違いはないんだ。ただディテールが違うというか」

――そのディテールなるものを教えていただけますか? ストレッチでもミーティングの仕方でも、本当に小さな例でいいのですが。

「(眉をしかめて)ん……説明するのは難しいなあ。ウリエとベニテスはもちろん別の人間だから、トレーニングにしてもやり方は違うんだけど、大枠の方向は基本的に同じというか……」

――……わかりました。じゃあ、こっちで勝手にまとめさせてもらうと、トレーニングにしてもプレーのアイディアにしても、監督が代わったことによってチームが総合的にスケールアップしたという感じいいですか?

「(ほっとした表情で)そうそう。そんな感じにしておいてくれるかな(苦笑)」

■「まさか、あそこまで専門的なことを聞かれるとは……」

こちらは取り立てて難しい質問をしたわけではない。そもそも両監督の手腕の違いを最初に指摘したのは、先方だったはずだ。しかし彼は眉をひそめ、さかんに「難しいことを聞いてくるなあ」と繰り返した。後から人づてに聞いたところによれば、ジェラードはインタビューが終了した後、「まさか日本のジャーナリストに、あそこまで専門的なことを聞かれるとは思っていなかった」とこぼしていたという。

ただし、そんなジェラードが表情を変え、堰を切ったように話し始めた場面があった。話題が自分のプレースタイル、そしてイングランドのフットボールに及んだときだ。

――現役のMFで参考にしている選手はいますか?

「まずはジダン。個人的に大ファンだし、彼のプレーはいつもチェックしているんだ。ロナウジーニョもかなり好きだよ。とにかくヨーロッパ(大陸側)でプレーしている一流の選手を見るのは好きなんだ。特にMFはね」

――でもですよ、選手としての能力や特徴を考えた場合、あなた自身には大陸型のサッカーよりも、伝統的なイングランド式のフットボール方が向いているとは思いませんか?

「それはすごく思う。ロングパスからダイレクトに攻撃を仕掛けていったり、ゴールをどんどん爆撃していく。俺はそういうプレースタイルが得意な、典型的なイングランドのフットボーラーだと思うし、自分でも目指してきたからね。日本の人もスピーディーでダイレクトな展開は好きなはずだから、ファンが増えてくれるといいんだけど」

――迫力やスピード感には凄まじいものがありますもんね。最近、プレミアの試合を初めて見た女性の友人は、日本のサッカーと同じスポーツだとは思えないとしきりに驚いてました。

「(ぐっと身を乗り出して)だろう! その気持ちはすごくよくわかる。俺自身、フットボールの試合を見るのは大好きで、暇さえあればテレビで中継を眺めているけど、やっぱりイングランドのゲームを一番多く見るもんな。“男らしく”がんがん攻めていくスタイルは大好きだし、ゲームのペースが上がれば上がるほど、見ている側は興奮させられるんじゃじゃないかな」

――なるほど。あなた自身が、イングランドフットボールの大ファンだと?

「ああ。その点は断言できるよ。世界で一番熱狂的なファンかどうかはわからないけど(笑)」

■透明のパッケージと本体を大事そうに持って……

ジェラードはイングランドのフットボールをとことん愛し、魅力を体現した選手だった。そして我々は、そんなジェラードをこよなく愛した。キャラクターも含めてである。

これらの会話はインタビューのごく一部、しかも要約だが、取材に立ち会ったスタッフは会話の密度とコメントの豊富さ、ジェラードの率直な語り口調に感心しきりだった。

ジェラードの口がいつにも増して滑らかだったのは、彼が実際に持っているスポーツカーを模したラジコンを、取材前にプレゼントしたことも効いていたのかもしれない。

ラジコンを受け取った瞬間、リバプールのレジェンドは子供のような表情に変貌。透明のパッケージから銀色の車体を取り出すと、「どうやってスイッチを入れるんだい?」「電池交換は?」と事細かに尋ねてきた。

ジェラードほどの高給取りならば、この種のオモチャなど何十万台でも買い占められる。だが彼はよほど気に入ったと見えて、固い握手を交わした後、「チアーズ・メイト! サンクス・フォー・ディス(どうもね。これ有り難う)」と言いながら、透明のパッケージと本体を大事そうに持って去っていった。

ところが取材の帰りしな、インタビュールームを出てみると、物陰に透明のケースだけがこっそりと置かれている。ラジコンを箱に戻そうとしてみたものの、うまく収まらないために諦めたに違いない。こんなあたりも、いかにも庶民派らしくて微笑ましかった。

個人的な願望だけで言えば、ジェラードにはラジコンではなく、プレミアの優勝メダルをプレゼントしてやりかった。そうすれば彼は今頃、自宅にしつらえたミュージアムのように豪華なキャビネットの前で、3人の娘たちや地元の幼なじみ相手に、武勇伝を幾度となく語り聞かせていただろう。

しかし、喉から手が出るほど欲しかったトロフィーが取れない代わりに、彼は別の栄誉を得た。

記録以上に、人々の記憶に残るフットボーラーとしての称号である。

ジェラードよ、願わくは大西洋の向こう側では、幸多いキャリアを歩まんことを。そしていつの日にか地球上のどこかで再会し、君が愛して止まないイングランドのフットボールについて、もう一度語り合わんことを。

(初出:Number Web 2015年5月29日)