今年のAJPSアワードは18回の歴史の中で初めて団体に贈られます。
「JIFF」(障がい者サッカー連盟)は「サッカーなら、どんな障害も超えられる。」を力強いスローガンに2016年4月1日、それまで個々に活動していた次の7団体を一つの団体にまとめました。
・日本アンプティサッカー協会(上肢または下肢の切断障がい等)
・日本CPサッカー協会(脳性麻痺)
・日本ソーシャルフットボール協会(精神障がい)
・日本知的障がい者サッカー連盟(知的障がい)
・日本電動車いすサッカー協会(重度障がい等)
・日本ブラインドサッカー協会(視覚障がい)
・日本ろう者サッカー協会(聴覚障がい)
これら7つの団体を、法人格を持った障がい者サッカー連盟に統合。JFA(日本サッカー協会)の加盟団体となり、JFAと障がい者サッカー団体をつなぐ中間支援組織として活動を続けています。
7団体を法人化した組織整備によって、日本のサッカー界は日本代表の世界ランキング上昇や海外移籍の活性化、協会の収益に並ぶ本当の意味での「世界基準」に向かって歩き始めたと言えます。イングランドやスペイン、ドイツといった強豪国の障がい者サッカーへの取り組みは、広く豊かなグラスルーツこそが頂点の代表を支えるという理念に基づいています。代表を強化しW杯優勝を目指すのと、誰もがサッカーを楽しめる環境を整備する努力は両輪なのです。
2025年11月、日本で初めて行われた聴覚障がい者による4年に1度の歴史ある「デフリンピック」で、サッカー男女ともに初のメダル(銀)を獲得し大きな注目を集めた様子は記憶にも新しいでしょう。メダルと同時に注目されたのが、デフサッカー日本代表が森保一監督率いる日本代表、ニールセン監督率いるなでしこジャパンと同じユニホームを着用して闘う姿でした。福島のJビレッジで行われた決勝戦では、同じユニホームで駆け付けたサポーターが日本代表に送るチャントで選手を鼓舞しました。選手たちには間違いなく届いたはずです。
23年から日本代表ユニホームの統一化は実現していましたが、大舞台で、しかも今年の北中米W杯で着用する最新ユニホームで堂々とプレーするサッカー選手たちに憧れる声が他競技や関係者からも聞かれました。
JIFFが10年間で環境を整え、マーケティングを変え、スポンサー、ファンの支持を広げたチャレンジは、日本のスポーツ界全体の可能性を「縁の下の力持ち」(Unsung Hero)がどう支えるか、それを示すロールモデルにもなります。
10年の時間を全力疾走でJIFFをけん引した北澤豪会長(57)に聞きました。現役時代、ピッチを縦横無尽に走ってチームに貢献した“キーちゃん”の圧倒的な運動量は、ユニホームをスーツに、スパイクを革靴に履き替えて長くなった今も少しも変わっていませんでした。(26年3月16日、都内)
1枚のユニホームがもたらす変革
北澤会長(以下、敬称略) 今回は本当にありがとうございます。こうやってメディアの皆さんに活動を認めてもらって、団体が表彰までしていただくなんてありがたいの一言に尽きます。いろいろなところで認知してもらう新しいきっかけにも繋がります。
ー表彰式もぜひ皆さんでいらしてください。10年前、JIFFが誕生した時はどんな気持ちでスタートしましたか? いろいろ壁があると思っていたのでは?
北澤 それまでJICA(国際協力機構)のサポーターとして発展途上国の支援をしていた経験もあったので、障がい者の支援にも特別な感覚はなかったですね。サッカーには世界観があって、イングランドをはじめ強豪国は障がい者サッカーに力を入れていますし統一されている。サッカーだからまとまるんじゃないかとポジティブに考えていました。
ー統一の最大の目標は何でしたか?
北澤 (活動の)象徴がユニホームでした。選手だけじゃなくて、サポーターが応援するのにも、日本代表ユニホームが一つならいちいち着替える必要もない。そして、日本代表と同じユニホームを着られるという目標が選手の意欲や意識を変え代表の強化にも繋がった。2017年にJIFFでエンブレムを統一したユニホームで初めて会見したんです。もちろん、それぞれの団体にも築いてきた歴史やプライドがある。それがぶつかり合う場合もありましたが、それはいいことだと。その会見の際に、それまで意識し合っていた選手同士が打ち解けて楽しそうに雑談していたんですね。そういう現場の感覚を見ながら、わずか1枚のユニホームでこんなにも変わるんだと思いましたね。
ー憧れとか夢を布1枚が表してくれる。
北澤 そう、自分だってちっとも上手くなかったけれど、いつか代表のあのユニホームを着るんだ、と目指して来たんです。例えば事故に遭って、あるいは病気になって、どこかに障がいができたからといって、そういう夢まで追えなくなるのはおかしくないですか? もちろん、女子も男子も同じですよね。誰もがそういう目標を追えるように環境を整備したいと考えて来ました。
ー10年前にはユニホームの力をそこまで考えていませんでした。
北澤 スポーツ基本法(2011年制定)が(この19年で社会に)定まってきて東京オリンピック・パラリンピックがあったのが大きかった。他の競技団体からも問い合わせが来ますし、どんどん(JIFFのような)取り組みをやって欲しい。何でもお話しします。
次の10年、国際大会を招致し、選手たちの雇用を整えたい
ー将来、さらなる目標はありますか。
北澤 JIFFが日本協会の加盟団体ではなくて、中に入って一元化できればもっといいでしょうね。コロナ禍でオンライン会議ができて全国9地域(北海道、東北、関東、北信越、東海、関西、中国、四国、九州)での連携会議が障がい者サッカーの窓口を47都道府県協会に作るように働きかけてもらいました。今、半分以上に内部でも外部でも窓口ができている。9地域のアクションで横軸が出来ています。もちろんFリーグもWEリーグもこうした動きに参加している。これから自治体とも、もっと連携していければと考えています。
ー総合大会でしたが、昨年のデフリンピックでは注目度がぐっと上がりました。
北澤 そういった国際大会を日本に招致したいですね。それには、もちろん簡単ではないけれど国内でたとえば〇〇カップなど国際大会ができればいいな、と。それと選手たちの雇用をどうするか。アスリートケアというか、選手が仕事をしながら競技ができる仕組みを作っていくのが次の10年の目標になると思っています。
ー障がい者サッカーとのかかわりで何か印象的なシーンなどありましたか。
北澤 障がいではなく高齢化社会を考えると、自分が将来どうなってもサッカーができることを見せてもらった。例えば事故に遭って、もし手足を失ってもアンプティサッカーはできるとか、年を取って歩けなくなっても電動車いすはできるかもしれないとか、みんなのプレーに大きな勇気をもらいましたね。
ー北澤会長と同級生の森保一監督も障がい者サッカーに関心を持って発信していますね。
北澤 弟(洋氏)もデフの(U23)監督になりましたしね。ポイチ(森保監督の愛称)は手話も勉強しているし、障がい者のサッカーに対して理解がある。森保監督はドーハの悲劇から始まって今、日本代表監督として日本のサッカーをここまでにしているし、(ドーハもフランスW杯での選外も経験した)カズさん(三浦知良選手)だってピッチで倒れちゃうんじゃないかっていうくらい今でも現役で頑張っている。オレも彼らみたいに日本代表のために、日本のサッカーのために何かできることがあるんじゃないか、って思わせてくれた。JIFFも7団体から昨年、低身長症の方々による「ドワーフサッカー」が加わって8団体になりました(25年10月に日本ドワーフサッカー協会が準加盟)。サッカーなら乗り越えられる。それをこれからも未来予想図的な絵が描けたらと思います。
取材・文/増島みどり
写真/北川直樹
AJPSアワード2026委員会:木ノ原句望、増島みどり、北川直樹
