Photo 藤田 孝夫 / Takao Fujita
ちょうど一年前くらいの話。
フランス(マルセイユ)でフィギュアのグランプリファイナルの撮影を終え、帰国の途につく時だった。アムステルダム空港でトランジット中、小平奈緒選手に遭った。同時期、彼女はW杯のオランダ大会を滑り、破竹の500m4連勝を飾った直後だった。彼女は言った。
「来てたんですか?」
そりゃそうである。一介のカメラマンと大会の翌日に空港で逢う、しかもオランダのアムステルダム。スピードスケートの取材で来たと思うのは当然である。私には、かつてオランダで武者修行中の彼女を取材に訪れた時、とてもよくしてもらった恩義がある。なぜだか少し恥ずかしさを感じた私は、少し間を置いて小さな声で返すのがやっとだった。
「い、い、いや…ちょっとフィギュアの帰りで…」
言わずもがな、日本は空前のフィギュアスケートブームである、司るのはスケート連盟。同じスケート靴をはく競技という意味で、スピードスケートも同じ傘下にある。だがその競技性、とりまく雰囲気はかなり違う。スピードスケート選手が極めるもの、求められるものはただ一つ「速さ」である。「速さ」という目に見える記録の先にしか、評価の二文字はついてこない。分かりやすく言えば、どんなに美しいフォームで記録1分の選手より、どんなに不恰好なフォームでも59秒で滑る選手の方が評価される。当たり前の話。スピードとフィギュア、人気のコントラストを感じた時、ふとそんなことを考えてしまう。
今、日本のスピードスケートが熱い。来る平昌五輪、特に女子はほとんどの種目でメダル獲得の可能性がある。4年前、男女を通してメダルゼロのソチ五輪を思う時、この状況は夢にも想像できなかった。”スピードスケート”という名の通り、「速さ」だけを追求し、人生をかけてきたアスリートの勇姿を注目してほしい。私もまた、レンズ越しに彼らを追いかける。シンプルでとてつもなく深い世界を…。
藤田孝夫(ふじた たかお) 1964年生まれ 香川県出身 小学、中学、高校と、四国の田舎で(甲子園は目指さず)白球を追いかける。スポーツの現場に対する憧憬を捨てきれず、スポーツカメラマンを志し上京。アスリートたちのストイックな姿に魅せられ、陸上、水泳、体操など、オリンピックに繋がるアマチュア競技を主体に被写体は多岐に及ぶ。1986~1990年「(株)フォートキシモト」在籍後、フリーランスとして独立、現在に至る。五輪取材は1988年カルガリー大会より2016年リオ大会まで。