「AJPSアワード2022 UnsungHero」受賞 釜本美佐子氏インタビュー(後編)

第14回を迎えた「AJPSアワード」は、6月23日に授賞式が行われた。会場でも大きな拍手を浴びたNPO法人日本ブラインドサッカー協会初代理事長、釜本美佐子氏の特別インタビュー<後編>をお届けする。

<特別インタビュー前編はこちら

 

●東京パラリンピック以前、2008年北京大会、2012年ロンドン大会、2016年リオ大会で日本チームは予退敗退しました。その間ずっと釜本さんは日本ブラインドサッカー協会の理事長として活動していましたが、どんな心境でしたか?

 

 

釜本:北京パラリンピックのための予選は韓国で開催されました。初参加の中国に関しては情報が全く入ってこなかったのですが、日本のほうが競技歴が長いので勝てるだろうと思っていたんですね。しかし蓋を開けてみると、中国にあっさり負けてしまい、日本チームは北京大会に出場することはできませんでした。

その次のロンドンパラリンピック挑戦では、イランのチームが出てきて、中国とイランに1位、2位を取られてしまいました。ロンドン大会に出られなかったことも、本当に残念でしたね。

東京大会はホームなので出場できると分かっていましたが、開催国だから出られるのでモヤモヤが解決しません。それまでに1回でもパラリンピックに出たい、リオ大会は絶対に出たいという思いがありました。

しかし、やはりアジアで1位、2位を取れないということが、東京まで出場できなかった理由です。

 

●パラリピック競技のなかでブラインドサッカーは社会的な認知度が高いほうだと思いますが、それでも韓国や中国、イランに比べると劣っていたということなのでしょうか。あと少しのところで出場を逃したということと、社会的な認知度は関係していると思われますか?

 

釜本:関係していると思います。選手たちの周りで理解を得られず、日本代表の合宿をするために日程を組むにも、土日祝日しか組めない状況でした。その結果、中国やイラン、あるいはブラジルやアルゼンチンと比べて、圧倒的に練習の時間が少ないということがネックだったんじゃないかと思っています。

 

●釜本さんは今は日本ブラインドサッカー協会から退き、選手たちを見守る立場ですが、2024年のパリ大会に向けた日本の課題は、社会的な認知度を上げて選手の練習時間を増やすということだと思われますか?

 

釜本:そうですね。最初の頃は、優秀な選手に「どうしていつも日本の代表の合宿に来ないの」と尋ねたら、「会社が行かせてくれない」とか、あるいは「お金がない」というような返事でした。その頃と比べると、今の代表選手は、職場の理解を得て合宿に参加できていると思います。国内のチーム数も非常に増えてきて、選手の数は多く、選手の層は厚くなってきたと感じています。

ただ、そのなかからトップアスリートをピックアップして代表チームを組んでも、アジアでトップを取ることができるかというと、まだまだ難しいんじゃないかなと思うんですね。

やはりトップ選手の練習時間や代表合宿の時間をどのように確保していくかということが、2024年に向けての大きな課題です。

それからもう一つは、女子選手の普及をどのように進めていくか。女子のチームをどのように増やしていくかということも、これからの課題だと思います。

 

●釜本美佐子氏 プロフィール
1940年京都市生まれ。海外ツアーコンダクターとして世界を舞台に活躍していたが、50代で網膜色素変性症の診断を受け、全国視覚障害者外出支援連絡会会長、網膜色素変性症協会会長を歴任。ブラインドサッカーとの出会いは2001年。視察団のひとりとしてアジアにおける先進国・韓国を訪れ、視覚障がい者のためのサッカーに魅了される。翌年設立された日本視覚障害者サッカー協会(現日本ブラインドサッカー協会)の理事長に就任。選手団長として海外遠征に同行するなど、影に日向に貢献。海外ツアーコンダクター時代の経験を活かした語学力と英語のスピーチには定評があった。2018年に理事長を退任。現在は陸上競技で東京都障害者スポーツ大会に出場するなどバイタリティは衰え知らず。明治神宮周辺を巡る約2時間のウォーキングが日課。元サッカー日本代表の釜本邦茂氏は実弟。

取材/瀬長あすか 、杉山茂樹  撮影/三船貴光