スポーツ界の隠れたヒーローを称えるAJPSアワード2024 -Unsung Hero-に 千葉ロッテマリーンズで33年間スタジアムアナウンサーを務めた谷保恵美氏を選出

一般社団法人日本スポ-ツプレス協会 (AJPS 会長 小林洋)は、2007年から、スポーツ界の功労者を称える
「AJPSアワード」を制定して参りました。「AJPSアワード」は、スポーツ界の発展に大きく寄与され、
なくてはならない存在として、選手、競技を支える「Unsung Hero」(縁の下の力持ち)を称える賞です。

本年は、AJPSアワード選考委員会からの推薦、2月21日に行われた理事会決定を経て、千葉ロッテマリーンズで球団職員として33年間ものあいだ、「スタジアムアナウンサー」を務められた谷保恵美さんを選出いたしました。谷保さんは1990年、当時ロッテオリオンズに経理担当として入社されたのち、91年からスタジアムアナウンサーのキャリアをスタートし、22年には公式戦通算2000試合アナウンスの偉業を達成。23年の同2100試合に至るまで一度も担当に穴を空けることなく、選手、球団、多くのプロ野球ファンを「声」で鼓舞し、支え続けました。
2100試合を区切りにスタジアムアナウンスを退かれ、23年末千葉ロッテマリーンズを退社されています。

表彰式は6月18日(火) 都内で行われます。

谷保さんコメント 過去の受賞者の皆様のお名前を拝見し、私がこのように名誉ある賞を頂いていいものか大変恐縮しています。野球が大好きで、この仕事に就きたくて、それが実現してからは本当に無我夢中で走り続けて来ましたので、皆様に賞を頂くようなことなど何もしていない、と自分では思っています。
 甲子園球場での高校生の大会を見ていて、○番○○君!、と呼ぶアナウンスに強いあこがれを抱いたのがスタートでしたが、どうすれば球場アナウンスの仕事ができるのか分からず、短大を卒業する際には週刊ベースボールマガジンで12球団の住所を調べ全球団に自分を売り込む手紙を送りました。

ロッテにようやく経理担当として入社し、初めてプロの試合でアナウンスを担当した1991年3月から2100試合を無事に終えた23年10月まで33年間、いつの日か、もうアナウンスをしなくていいよ、と言われる日が来る、  だから悔いのないように「選手を声で送り出す」仕事に集中しました。病気やアクシデントでの欠席もなくやり遂げられたのは、もちろん1人の力でできるものではなく、多くの方々の支えがあったからです。
 野球に、スポーツに、私自身が力をもらったからこそ、断られても、返事がなくても、諦めず、しつこく自分を売り込めたのでしょう。私を受け入れてくれた野球界に、スポーツに感謝し、この賞を頂きたいと思います。

撮影 北川直樹/AJPS

 

谷保恵美(たにほ・えみ) 1966年、北海道・帯広市出身。57歳。帯広三条高校では、野球部の監督を務めていた父に言われマネジャーに就任。スコアブックを付け、練習ができない冬場は傷んだボールを手縫いして補修するなど当時から選手を支えた。高校卒業後、札幌大学女子短期大に進学して札幌大のマネジャーも務め、短大1年時に、円山球場で場内放送を担当したのをきっかっけにプロ野球での場内アナウンスを目指す。
90年、当時ロッテオリオンズに経理として採用され、その後、球団事業本部広報部へ。91年3月に二軍試合でプロデビューを果たし、同年7月にジュニアオールスター、8月に川崎球場での対日本ハム戦いで一軍で初のアナウンスを担当した。千葉に移転し「千葉ロッテマリーンズ」となったのち、海沿いで強風が吹く球場のため「サブローーーーー」と、語尾を伸ばし大きな声でアナウンスする谷保さん独特のスタイルが生まれたという。
 22年7月、ソフトバンク戦で2000試合アナウンスを達成。2000試合を機に、「まもなく試合開始でございます♪」(ベースボールマガジン社)を発行した。23年10月対オリックスで2100試合をアナウンスして引退した。NPB球団功労賞を受賞(2021年)帯広観光大使も務めている。

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日本スポーツプレス協会 AJPSアワード選考委員会 増島みどり、北川直樹、高樹ミナ

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