「ワールドカップ取材の旅」Text by 大住良之

大住良之=文・写真

ワールドカップ・ブラジル大会も終盤。コスタリカ、ギリシャ、スイスなど、大会前には見向きもされなかったチームの奮闘の一方、日本では、力を出し切れずに敗退した日本代表のことが話題の中心に違いない。しかし私たち取材者にとっては試合を取材するために会場間をどう移動するか、宿泊施設をどう確保するかが、いつも以上に大きなテーマとなった大会でもある。

広大なブラジル全土を舞台に行われた今大会。最も北の会場マナウスは赤道直下、南緯3度に位置し、最も南のポルトアレグレは南緯31度。30度近い緯度差があれば、当然のことながら3000キロ以上も離れている。「熱帯」に属するマナウス、フォルタレザ、ナタル、レシーフェなどでは連日30度を超し、湿度も高い。しかし「温帯」のポルトアレグレでは冬の真っ盛りで、ダウンが必要となる。

広大な国でのワールドカップ取材というと、過去には1994年のアメリカ大会があった。最も東のボストンから最も西のサンフランシスコまでは4000キロ以上、4時間半の飛行が必要で、3時間もの時差もあったが、南北の広がりはブラジルほど大きくはなく、どこも同じように暑かった記憶がある。

気候の違いは、それなりの服装を用意すればOK。だがどうにもならないのが移動手段だ。ブラジルには長距離鉄道などなく、ほとんどの場合飛行機移動となる。長距離バスもあるが、最も短く最も道路状況が良いリオデジャネイロとサンパウロ間でも5?6時間はかかる。

ところがこの飛行機がくせ者だったのだ。

■「お客様のカードが異常に使われているのですが」

ブラジルの航空会社と言えばかつては「ヴァリグ」であり、ブラジル国内の路線を独占し、日本を含め世界各地に飛んでいたが、2005年に破産し、GOL(ブラジルらしい名称ではないか!)という会社に買収された。現在、ブラジルの国内路線を席巻するのはこのGOLとTAM。そのほかにもいくつかあるが、いずれも「LCC」(格安航空会社)ということになっている。ただこのなかでTAMは、現在「ワンワールド」という世界的なグループ(日本ではJALがはいっている)に属して国際的にも路線を増やし、ブラジルの「ナショナルフラッグ」として急成長している。

さて、昨年12月に抽選会が終わって試合日程が決まると、まだ取材パスのOKも出ていないのに、取材計画、すなわち旅行計画を立てなければならなくなった。近年のワールドカップでは、日本からの取材者は日本代表だけについている人も多いが、私は、日本代表はもちろんのこと、できるだけ多くのチーム、できるだけ多くの試合を見たいと欲張りな計画になる。

しかしどんな魅力的なカードでも移動できなければ取材することはできない。昨年末のある日、私は一昼夜をかけてTAMのサイトで20数便を予約した。GOLも試したのだが、住所を入力するところで必ず止まってしまった。移動便が確保されてから取材するカードが決まる。そして宿泊を予約するという手順だった。

翌日、カード会社から電話がきた。

「お客様のカードが昨日から異常に使われているのですが、だいじょうぶでしょうか」

「何件で、いくらですか」

「全部で20数件、合計60万円ほどになります」

「残念ですが…。それはすべて僕が使ったものです」

ところが、そうして確保したはずの移動便に思いがけない懸念が埋まれた。4月のある日、TAMからメールがきて、「予約した便はキャンセルされた。代替案はこの便である」という、ポルトガル語のメールだった。とんでもない。代替便は、試合のキックオフから30分後に到着するスケジュールの便だった。

仲間の記者たちに聞いてみると、同じようなメールが次々ときており、前日の便にされた者、翌日の便にされた者などさまざまだった。

■7000円が8万円に値上げ?

私は、その便についてはキャンセルしてサイトで違う便を買い直し、なんとか収めた。

その後、TAMからのメールはこなかったので安心していた。ところが6月10日、開幕の2日前にサンパウロに到着した夜にTAMのサイトで予約を確認すると、20数便の大半がスケジュール変更になり、2便は、取材に差し支える時間に変更されていたのだ。こちらの了承も得ず、メールもよこさず! なかには出発時間が1分遅れるという「変更」もあったが…。

翌日の午前中いっぱいを、私はサンパウロのコンゴーニャス空港のTAMのオフィスで過ごさざるをえなかった。行ってみるとTAMの窓口はとても親切で、私の取材に間に合うよう、すべての便を確認し、必要なものは新しく取り直してくれた。2泊分のホテルを新しく取り直さなければならなかったが、ホテルはなんとか見つかるものだ。

仲間の記者には、予約確認がきたのに、空港に行くと「クレジットカードから引き落とせなかった」と言われ、勝手にキャンセルされていたというケースもあった。空港では出発直前までゲートの変更は日常茶飯事。ともかく、実際に飛行機の座席に座るまでは、まったく気を抜けないのだ。

しかも航空会社には「定価」などなく、需要と供給だけの関係で価格が決まるものらしい。大会にはいって新たに便を取ろうとすると、通常なら7000円程度のリオ?サンパウロ間(毎日84便も飛んでいる)が5万円から8万円(!)にもなっていたりする。

1994年のアメリカ大会も、毎日飛行機に乗っていた記憶があるが、予約していた便には変更もなく、再確認などしないでまったく安心しきって空港に行き、次の目的地に向かうことができた。しかしブラジルでは、生き馬の目を抜くような航空会社のおかげで、飛行機に乗るのも大きな冒険に思えてくる。

しかし大会が終わってしばらくしたら、この飛行機での移動に関するトラブルやその解決のあれこれが、試合の次にエキサイティングな記憶として思い起こされることになるのかもしれない…。

<著者紹介>

大住良之(おおすみよしゆき)/サッカージャーナリスト

1951年神奈川県横須賀市生まれ、『サッカー・マガジン』編集部勤務(1973?1982)を経て1988年からフリーランスのサッカージャーナリスト として活動。日本のサッカーの発展をテーマとし、日本代表、Jリーグの取材を中心に活動。そのほか、1974年西ドイツ大会以来8回のFIFAワールド カップをはじめ、数多くの国際大会も取材し、『東京新聞』の連載コラム「サッカーの話をしよう」を中心に、雑誌、インターネットなどを舞台に執筆活動をし ている。女子サッカーチーム「FC PAF」監督。