「あるサッカー選手への、私的想い」

Text 神谷正明 / Kamiya Masaaki

 橋岡大樹を初めて取材したのは、まだ彼がプロになる前のことだ。年代別日本代表の合宿に浦和レッズユース所属の高校生として参加していた時だった。初めて取材した時の様子は今でもはっきりと覚えているが、おそらく橋岡を取材したことのある人は皆、一度で彼のことは記憶に残るのではないだろうか。

 それは才能あふれるプレーぶりもさることながら、橋岡の人柄に寄るところが大きい。質問者に対し、しっかりと目を見て話をする姿勢。答えはしっかりとしていて、口調もハキハキとしている。声量も大きく、話の内容もポジティブ。その姿はまさに絵に描いたような“好青年”なのだ。

 その印象はプロになってからも変わっていない。ただ、それは橋岡の持つ側面の一つに過ぎなかった。彼はある種の“リアリスト”でもあった。

 2018年、ルーキーイヤーとなるこのシーズンに対し、橋岡はただ前向きな姿勢で取り組むだけではなく、プロとして戦っていくために入念な準備をして挑んでいた。それは18歳という年齢を忘れさせる老成したようなアプローチだった。

「試合に出ている自分を想像していました。それと同時に、出られていない自分も想像していて、2つの自分を想像していました」

 橋岡はDFを本職としているが、浦和の守備陣には2018年ワールドカップ・ロシア大会のメンバーだった槙野智章や遠藤航(2018年シーズン途中に海外移籍)といった日本代表や、それに準ずる実力者が名を連ねる。一方、橋岡はユース上がりの一若手に過ぎず、シーズン前のキャンプでは控え組。それもユース時代に慣れ親しんだセンターバックではなく、サイドバックのサブ。ユース時代にやったことはあったとは言え、主戦場のポジションではなかった。

 その決して簡単ではない状況で橋岡は自身を冷静にメタ認知した。“楽しい自分”だけでなく“苦しい自分”の2パターンを客観的にイメージし、どのような形からでもプロとして成長していく自分の姿を思い描いて日々のトレーニングに励んだ。

「出られないことが続いても腐らずにやること、それは当たり前のことではありますけど、それができる人は意外と少ないと思います。そのなかで人一倍、練習から常に120パーセントでやること、プラスアルファとして他の人よりもいろんな練習に取り組むこと、それを意識していました」

 浦和の選手層を考えると厳しい船出が予想されたが、その本人の練習に打ち込む姿勢が評価され、公式戦8試合目でデビューを飾ることになる。

 常に120パーセントでやる──。それはつまり、限界を超えても気力で走り続けるという決意だが、決して口先だけの言葉ではなかった。それを端的に表す証言もある。

「彼は走れます。足が攣っても走れます」

 橋岡をそう評価したのは当時暫定的に指揮を執っていた大槻毅である。大槻は浦和レッズユースの監督をしていた時から橋岡を指導しており、練習に取り組む姿勢、試合で戦う姿勢を間近で見てきた人物である。その大槻が橋岡をそう評したのだ。

 実際、橋岡は走り続けた。ピッチではウィングバックという運動量が強く求められるポジションで上下動を繰り返し、「体力、スプリントの面は自分の武器だと思いますし、ダイナミックさが自分の売り。それは誰に何を言われようともどんどん出していかないと注目されない」と攻守に積極的に絡もうとする意欲を見せた。

 むろん、ただがむしゃらだったわけではない。戦力として十分な資質も示した。とりわけ際立ったのが「最初から自信はあった」と胸を張る守備力。多くのチームがサイドには打開力の高いアタッカーを擁するが、そういう猛者を相手に1年目の新人とは思えぬ安定した対処を見せ、瞬く間に“守備で計算の立つ”という評価を勝ち取った。主将の柏木陽介も「守備はスーパー」と賛辞を惜しまないほどだった。

 一方、課題となったのが攻撃面のクオリティ。本人も「攻撃の部分ではミスが多い」と認識していた。だが、そこで終わらないのが橋岡だ。口先ばかりの反省に終始する選手もいるなか、橋岡は成長への貪欲さを隠さない。実際に行動に移す。練習後にグラウンドに居残り、ルイス・アルベルト・シルバコーチや池田伸康コーチに教えを仰ぐ姿がたびたび見られた。

 そういった日々の地道な努力や能力が評価され、大槻暫定監督から現在のオズワルド・オリヴェイラ監督に指揮官が変わった後も出場機会が与えられた。シーズンが終わってみればリーグ戦25試合出場、ルヴァンカップ5試合出場。そして天皇杯では4試合に出場し、ピッチ上で優勝の歓喜を味わった。ルーキーとしては出来過ぎと言っていい1年となった。

 しかし、さらなる飛躍を誓った今シーズン、橋岡はその反動と向き合っている。「去年の終盤、いくら悪いプレーしても出してもらっていて、おんぶに抱っこで周りの選手にも『できる』と言われて、甘えた自分もいたし、そこで気づけなかった自分もいる」。昨シーズン、継続的に試合に出られるようになって、経験の浅い若者らしい心の隙が顔をのぞかせていたと思い起こす。

 今季の浦和はシーズン開幕戦となったゼロックススーパーカップから内容の乏しい試合が多く、橋岡も出だしで躓いた。川崎にボールの奪い先として狙い撃ちされ、チームの足を引っ張るようなパフォーマンスを見せてしまった。その影響だろう、ここまでは試合に出たり、ベンチ外になったりと立場が不安定になった。

 だが、それが却って良かったと橋岡は言い切る。「自分は決してうまくない。正直、ゼロックスでは迷惑をかけましたし、そこで練習から一歩一歩取り組むことが大切と気づかされた。気づけない選手はどんどん下にいく、出られない機会をもらって、逆にチャンスでした」と力を込める。

 4月14日のJ1第7節・ガンバ大阪戦。それまで公式戦3試合連続ベンチ外だった橋岡は約1カ月ぶりにフル出場した。「自分は謙虚さを忘れてはいけない選手。少しの気の緩みも、隙を見せずに、一日一日努力しつつ、チャンスを与えられたら結果を出せれば」。滑り出しの躓きで足元を見つめ直した19歳の若武者は、再び定位置をつかみ取るための戦いを続けている。

神谷正明(かみや まさあき) / Kamiya Masaaki

 上智大学卒業後、フリーライターとして活動しながらIT企業でスポーツメディアに携わり、2006年ワールドカップを機に完全フリーランスへ。サッカーを中心に浦和レッズ、日本代表を定期的に取材。現在はスポーツコンテンツ制作会社も経営し、各社ポータルサイト、有料サイトの業務に携わる。