FC東京の橋本拳人がロシア・プレミアリーグ(1部)のFCロストフに移籍した。ロストフは2018年ロシアW杯ラウンド16の日本代表×ベルギー代表が開催された場所で、この都市名にピンと来る方も多いと思う。
カテゴリー: SPORTS COLUMN
中谷吉隆AJPS初代会長に聞く - Amazing 56 years from 1964 –
東京・市ヶ谷にある中谷氏の事務所を訪ねると、壁一面に広がる書棚が「ようこそ」と言うように招き入れてくれた。本や資料という姿で、日本スポーツ界の歴史が鎮座している。
「勝っても負けても涙の日本女子卓球。 石川佳純と平野美宇が通った修羅の道。」
この1年、彼女たちの涙を何度見てきただろう。
負ければ涙、勝っても涙――五輪代表争いが激化した2019年を振り返ると、代表選考に絡んだ選手たちのやるせない光景ばかりが浮かんでくる。
バイエルンがライバルの「救済ゲーム」を開催 同業者は潰さない。ドイツらしい熱い話と矛盾
ん??? バイエルン・ミュンヘンが、代表を務めるサカノワ社に、ドイツ語のプレスリリースを届けてくれる。以前にドイツに住んでいたり、懇意にしていたドイツ人ライターがバイエルンのスタッフになっていたり、いろいろ関係を築けて、時々ビッグニュースが配信されるので、貴重なソースにもなっている。
「あるサッカー選手への、私的想い」
橋岡大樹を初めて取材したのは、まだ彼がプロになる前のことだ。年代別日本代表の合宿に浦和レッズユース所属の高校生として参加していた時だった。
「超主観的スポーツ・ライティング論」
スポーツ・ライティングというものに出会ったのは、まだ少年の時だった。当時、マイク・タイソンがアメリカのリングに彗星の如く現れ、途方もない勢いで、チャンピオンと名のつくあらゆる称号を強奪していった。
「4x100mリレーの夜」
ウサイン・ボルト、正真正銘のラストラン。
ロンドンで行われた世界選手権、数々の伝説を作ってきたボルトの最後のレースは、4ⅹ100リレーだった。スタジアムの誰もがアンカーのボルトが先頭でゴールを駆け抜けることを期待していた。ところがーー。
「ツール・ド・フランスを21年連続で完走しました」
ツール・ド・フランスの全日程を単独で取材し始めたのは1997年だ。その前にも5回ほどスポット取材しているが、過酷なレースで生き残った選手がパリに到着する気持ちを共有するために全日程を取材することにこだわりがある。
「テニス SWISS INDOORS 2016 BASEL」 Text 畠山喜代子/Hatakeyama Kiyoko
ATP500バーゼルでのトーナメントは私自身一度もラケットを手にしたことがなくても通年の記者エントリーはカレンダーである。 ロジャー フェデラーは我が町バーセルの地元民、アルピンスキーワールドカップのメディア達は毎年開幕戦ソルデンからテニス スイスインドアーで、バーゼルに集結する。
「ワールドカップ アルピンスキー最終戦 サンモリッツ2015-16レポート」 Text 畠山喜代子/Hatakeyama Kiyoko
今季の最終戦は通年のカレンダー、翌年2017年の世界選手権大会を控えたスイスのSt Moritzで開催された。 復活祭の連休を前に天候は悪くなかったし、ワールドカップの支持者、選手たちの家族、ファングループはスイスのみならず、オーストリア、ドイツ、イタリア、フランス、北欧からもやって来た。